えもいわれぬ

ぽてちのブログです。読んだ本とその感想の記録をメインに、日々のレポートもしています。

時間のはなし

 

 

時間があってもあっても足りない。

 

 

やりたいことの数に対して、自分の持っている時間が見合っていない。

 

 

 

 

誰しも一度はこう思ったことがあるだろう。

 

私もその一人だ。

 

 

 

 

時間についてよく言われるのは

 

「時間は作るものだ」ということ。

 

 

 

言われてみればそのとおりであり、実体験をもってそれを感じたこともある。

 

 

しかし足りないものは足りないのである。

 

現に今、大好きな実況者さんのYouTubeを流しながら

ブログを書いている。

 

 

本当は、ゴロゴロしたいしゴロゴロしながらYouTube見るのが一番好きだし、

Overwatchで一日溶かしたいし、疲れるまでレイトン教授やり込みたいし

どうぶつたちがいる村で永遠に釣りをしたり虫取りしたりしたいし

一日中小説を読んで過ごしたいし 歴史の勉強もしたいし

PCの勉強も進めたいしカメラ持って写真撮影にも行きたいし

おかしつくりたいし 平日の朝ごはんを作り置きしておきたいし

 

 

やりたいことは枚挙に暇がない。

 

 

でも私に与えられた時間は、ほぼ土日の2日間。

この2日間を如何に充実したものにするかは、自分次第。

 

やりたいことの中でも優先順位をしっかり定めて楽しむことが必要だ。

 

 

でも全部欲張ろうとしてしまうと、私はYouTubeで2日溶かせてしまう人間だから

結局YouTubeだけ永遠に見て土日が終わってしまうということも十分にある。

なんなら先週の土日がそれだった。

 

 

そうすると後悔が大きいことが分かった。

だから、その反省を踏まえて土日にはいろんなことを少しずつ

つまんでいくようにしようと考えた。

 

 

例えば、PS4かswitchでYouTubeをテレビで常に流す。

そしてYouTubeを見ながらPCをしたり、小説を読んだり、勉強したりする。

そうするとやりたいことを同時に2つこなすことができるのだ。

 

 

 

 

 

飲食店でのアルバイト時代、先輩が

「休みの日は見たい映画をテレビで流しながら本を読みながら音楽を聴いている」

と言っていた。

 

当時は何を言っているのか本当に意味が分からなかったが

 

今は分かる。

 

 

 

それが自分のやりたいことをたくさんやれる最適解なのだと。

※個人的な意見です

 

 

 

 

 

 

今のところ、この楽しみ方をすると

何か一つしているときよりも時間の流れがとてもゆっくりに感じる。

 

良い傾向。

 

 

 

 

YouTubeだけ見ていると画面が流れるのをただ眺めているだけだが、

画面を眺めることに加えてキーボードを叩くという動作が加わることで、

 

自分にとって生産的なことをしているという充実感を無意識的に味わっているのだろうか?

 

 

 

 

 

私はマルチタスクがおそらく苦手な人間だが、

趣味はタスクではないからか、何の問題もなく楽しめている。

 

 

この調子でどんどん土日の充足度を上げていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

この理論で平日の夜の過ごし方も見直したら

少しは充足度が上がるかもしれない。

 

 

 

 

 

いつもは

仕事から帰ってご飯をつくってYouTube見ながら食べて

お風呂に入ってYouTubeをみて

 

寝る前にどうぶつの森をひらいて化石掘って、関所の番人と話して

魚を釣って虫をつかまえて

「かせきのかんてい」をしてもらって、

手に入れたもの全部寄贈して

地下の喫茶店でコーヒー1杯飲んで

余った持ち物を全部たぬきちに売りつけてお金に換えて

その足で今日の服のラインナップを確認しつつ

あさみちゃんに話しかけに行って

余ったお金を500ベルだけ残してローンの返済に充てて

それが終わったら自宅のベットに戻って

 

 

……あれ?

 

けっこう充実してるね?

 

 

 

 

 

 

だらだら書いたけど、結局

「時間は自分で作る」ってことになりそうだね。

 

 

 

それでも足りない時は足りないけど。

 

 

 

時間は足りないくらいがちょうどいいのかもね。

暇を持て余すよりは1万倍マシだ!!!

 

 

 

おしまい。

 

3月

 

 

私だけこんなにつらい思いをしているのに、どうして世界はこれほどにも冷たいんだろう

 

と思うたびに

 

 

 

「似たような喜びはあるけれど 同じ悲しみはきっとない」

 

というフレーズを思い出す

(虹/Aqua Timez)

 

 

人はそれぞれ、お互いに分かち合えないつらい経験をしている

 

そのつらさの強弱は関係ない

 

 

つらいもんはつらい

 

 

 

 

それを忘れてはいけないな、と

今日も噛み締める

 

 

 

 

 

今日も世界のどこかで

同じフレーズを口ずさんだ人がいるかな。

 

 

 

 

 

ひとりひとり、自分の人生を進めている

 

 

私にとって、今日という日は本当に何もない1日だったけど

 

 

今日、嫌な思いや悲しい思いをした人もいて

逆に、幸せな思いをした人

卒業式だった人もいる

 

 

 

 

当たり前のことだけど

 

なんだか不思議

 

 

 

 

 

 

忙しい日々が始まっても

 

 

通勤路に花が咲いていた とか

今日は風が少し優しい とか

 

 

 

何気ない日常のちょっとした変化を

自分の幸せに変えていきたい。

 

 

 

 

 

おやすみなさい。

 

 

 

本質を見極めるのって難しい ~3年A組第6話&人狼Jイベ炎上について~

 

こんにちはぽてちです。

 

今日は3年A組の第6話をみました。

撮りためたドラマを消化するDAYです。

 

第6話は、リアルタイムで放送されたとき、ちょうど「バカッター」や「バカスタグラム」の動画が世間を騒がせていたタイミングで、とても話題になっていたのを覚えています。

私は時代の後を行く女なので今更6話を消化しました(笑)

 

 

今回の話は、「物事のうわべだけをみるのではなく、本質を見極めろ」というテーマでした。

始まりから菅田くんが「うわべだけをみるな」とずっと言っているのに、終始本質を見極めようとしない生徒たち・・・なんだか報われない気持ちになりました。

 

 

しかし同時に、私自身も本質を見極めながら生きていけているのかどうか、不安です。

 

先日の話ですが、私の妹が母親に対してキレていました。

その理由は、母が妹の趣味と、妹のやるべきことを混同して怒ったから。

少しわかりづらいですよね。でも簡単に言うと、母は

 

「自分の好きなことばかりせず、やるべきことをきちんとやれ」

 

ということを言いたかったのだと思います。

私はこれが本質?だと感じています。

 

それを妹は自分の感情に任せて、母の気持ちを勝手に想像して「絶対こう思っているからもう母には自分の趣味のこと言わん」とか言い始めました。

だから、私は「自分の好きなことだけやるなってことじゃないの?自分のやるべきこともきちんとやって、好きなこともやったら誰も何も言わないと思うけど」と言いました。

 

ぶつぶつ文句言ってましたが、少し納得してくれたみたいなので良かったです。

 

 

話が逸れてしまいましたが、3年A組をみて私はこの出来事を思い出しました。

 

このことに限らず、物事には本質があることが大半でしょう。

本質のない物事ってあるのでしょうか。

本質があるから物事があるのか、物事に付随した本質なのか、、

そもそも「本質」とか普段考えなさ過ぎて頭おかしくなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2月24日、私が好きなゲーム「人狼ジャッジメント」の一周年記念イベントがあったようです。

私も小耳には挟んでいたのですが、行ってはいません。

でも、毎日といっていいほど実況で見ているゲームなので、大好きです。

このゲームがリリースされた当初から見続け、就活中もこの動画が生きがいになっていたほどです。

 

ちなみにプレイ回数は2回。

私は見る専が向いていることをいち早く察知し、ゲーム自体はしていません。

 

 

 

 

ところがこのイベント、ちょっと困ったことに炎上してしまっています。

私もすべては把握していませんが、簡潔にまとめると

 

「10時からイベント整列開始、12時から入場・物販開始」的なことを公式が事前に発表

しかし当日、10時から整列開始にもかかわらず、8時台から並び始める人多数

予想以上の混雑により10時にはすでに物販が開始。この時運営は10時前に並んでいた人にペナルティを与えることもなく、そのまま整列を続けてしまった(Twitter等での告知もなかった)

グッズも需要に見合わず、売り切れ続出

ルールを守らなかった人がグッズを手に入れ、時間通りに来た人がグッズを買えないという理不尽な結果に

 

 

こんな感じ。

私もTwitterでだけですがリアルタイムで見ていました。

 

 

この運営さんはソライロさんといって、大富豪などのスマホゲームも出している有名な運営さんです。

しかしどうやらこういう「イベント運営」は初めてだったらしい。

※ちゃんと精査していないので間違っているかもしれません

 

 

こういう炎上ものに言及するのはあまり得意ではないですが、好きなゲームなので自分の思ったことを書こうと思いました。

 

 

まず、公式で定められた時間前に整列するのだめだよ~

まあ、人間だからそういう人は一定数いるのです

 

運営さん、多分イベントの勉強したんだろうね。

整列開始と物販開始の時間をちゃんと分けているところ、そして地方民にも割と優しい時間設定だと思います。

私が前並んだライブの物販整列開始時間8時だったからね…並んだけど

 

しかしソライロさん、人狼Jの人気を甘く見すぎていましたね。(誰)

youtubeで投稿したら途端に伸びるゲームだと思うもん。

実際、人狼Jの動画だけで今すごい人気になっている実況者さんも一人や二人じゃない。本当に神ゲーだと思います

 

だから、ソライロさんが思っている以上に人狼Jは人気なのです。

 

Twitter見ると、それはそれは運営さん叩かれまくってて少しつらい。

 

いや、確かに時間前整列をそのまま並ばせたのは本当に良くなかったと思うし、私がその場にいたらあばれ散らしていると思う。地方から来てくれる人もたくさんいたみたいだし、嫌な思いしてしまうよね。

 

 

 

 

 

 

少しここで運営さんの立場になって考えようと思う。

 

 

 

 

 

 

作ったアプリが大人気になって、1周年イベントを開催できるまでになった。

やったーー!

 

イベントはグッズ販売しよう!

あとこのイベントで新役職の発表とSP第二弾の発表もしよう!

絶対利用者さん喜んでくれるぞ~

 

 

 

イベントの予算は○○円にしよう。

イベントの会場はどこにしようか。キャパシティはこれくらいかな?となると予約できるのはこの辺とこの辺と…交通の便も考えたほうがよさそうだね

 

グッズはいくらいるかな?これくらいの人気だからこの個数でいいかな。いや、もう少しいるかな?でも赤字になるのはちょっと困るなあ。どうしよう。1ついくらにする?これくらいの値段だったら買ってくれるかな。よし、じゃあ、この値段で○○個にしよう、

この日までにグッズの絵柄決めて、この日までに注文、この日までに袋詰めして完成させること。絶対に間に合わせるように!

 

同時に発表の映像も制作しないといけないな。

とりあえず○日までに完成させて、そのあと調整していこう。

お客さん喜んでくれるかな~~~楽しみだなあ

 

 

 

 

 

 

社会人経験のない私に想像できるのはこんな感じだが、イベントの企画というのはかなり時間がかかるものである。

私は文化祭企画を運営したことがあるが、30人くらいの人を動かすのに半年は要した。

イベントの企画は大変である。そして一番大変なのは、当日である。

 

 

 

当日の運営さん。(※想像です

 

 

 

 

 

 

やばい、想像以上に人がきているぞ…

 

 

整列時間10時からにしたけど、もう並んでいる…

近隣住民からは苦情が来ている…

この人数だとこの会場に入れない人が出てくるかもしれない…

 

どうしよう

 

 

 

 

 

 

 

 

イベントの運営に「予定通り」などない。だから、どこまでを守って、どこから臨機応変に対応するか、というのをきちんと定め、把握しておくべきである。

 

今回の炎上は、その境界線というものを誤ってしまったことに起因するのではないだろうか。

 

 

 

 

新役職の追加&キャラクターSP第2弾の発表は、もうそれはそれは運営さんの想像以上の反響であっただろう。私もその内容をTwitterでみて、プレイヤーでもないのにとても楽しみになった。

役職が増えるとその分ゲームの可能性が広がって、より面白い展開がいくつも待ち受けることになる。とても楽しみである。

 

 

 

このとても胸アツな発表が、今回の炎上をうやむやにしている感は否めないが、

私たちも、運営さんが必死に頑張ってイベントを成功させてくれたことを忘れてはいけないと思う。

 

だから今回のグッズの件は許してくれ、というわけではない。

 

叩くのはいいが、そういう相手の立場というものを念頭に置いたうえで意見をするべきだと思っただけである。

 

 

と、部外者がいってもまた炎上するだけだと思うが(笑)

ごめんなさい。

 

 

ソライロさんこれからも人狼ジャッジメント楽しみにしているので

ゲームやイベントの運営も引き続き頑張ってください。

 

 

 

 

 

 

他にも言いたいことあったけど眠いから忘れたし書くのやめる。

結局本質って何だったんだろう

 

 

おやすみなさい~

 

 

 

www.sorairo.jp

 

冬の乾燥 VS ぽてち

 

冬になるといつも現れる大敵がいる。

 

 

皆さん御察しの通り

 

「乾燥」だ。

 

 

女性にとって、いや、人類にとって「乾燥」は大敵である。

火事が多くなるのも、肌が荒れるのも、全部全部乾燥のせいだ。

 

 

 

私は乾燥肌で、冬の唇は特に荒れやすい。

夏でもたまに荒れることがある。

 

 

そんな私だから、物心ついた時以来「乾燥」と戦っているが、その決着は未だつかない。

 

 

 

そして今年は特に、乾燥を実感していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静電気である。

 

 

 

 

 

 

 

 

今年の冬、私は今世紀最大の静電気に襲われているのだ。無論現在進行形である。

 

今世紀最大といったが、本当にシャレにならないのだ。

 

朝起きてベッドから出るとき、充電中のスマホをいじろうとしてビリッ

朝ごはんを作るためにキッチンへと続くドアを開けてビリッ

エアコンをつけようとリモコンに触れただけでビリッ

デスクトップPCとモニターの電源をいれようとしてビリビリッ

ベッドの下を掃除しようとして、ベッドの金属の支柱に触れてビリッ

コンセントにさしたままの充電コードの先端にふと触れてしまってビリッ

寝る前、スマホに刺したイヤホンから耳にビリビリッ

 

 

 

 

毎日この調子である。

 

 

 

生活のあらゆるところから毎度、本当に毎度、どこかを触るたびにビビッと電気が走るのだ。

 

この経験から、生活の身近な至るところに電気があることを思い知らされた。

私たちは電気なしでは生きていけない。

だから電気に感謝しよう。電気、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

違う。

 

 

 

私が言いたいのはそうじゃない。

 

 

 

 

 

もちろん電気への感謝はある、あるがこの記事の論点は全く違う。むしろ真逆の位置にあると言っていい

 

 

 

 

 

 

シンプルに、

 

 

 

静電気、痛いからヤメテ。

 

 

 

 

 

 

 

先ほど述べたように、生活に支障をきたすレベルで静電気がやばかった。

 

すべてのものに触れるのが怖くなった日も1日じゃない。

本気で怖かった。またあの痛みに襲われると思うと、気が気でないのだ。

 

 

 

 

嫌だったから、色々調べた。

 

でも、壁に放電してもあまり効果はない。

 

 

 

 

 

だからついに買った。

 

静電気除去ブレスレット。

 

 

 

つけたらあら不思議。全然静電気が収まらないのだ

 

 

 

 

 

 

 

意味がわからん。

 

 

 

 

静電気除去ってなんだよ。全く除去されていない。むしろ悪化している。

 

 

相変わらず痛い。

静電気による恐ろしい日々を過ごしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

同時に、私は大きな悩みを抱えていた。

 

 

 

 

 

それは、「髪の乾燥」である。

 

 

これにも大変困った。

 

マフラーを巻いても、手で触っても、もはや何もしなくても髪の毛が広がったり、顔に引っ付いたりするのだ。

 

 

アイロンかけてワックスしても無駄。

去年まではワックスすればまあ収まってくれてたんだけど、今年の乾燥は去年の比じゃない。侮れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく今年の冬は、乾燥に悩まされている。

一刻も早く事態を収束させねば。

 

 

 

 

 

 

そう思った私は、髪の乾燥を解決しようと東奔西走した。

 

 

 

まずは、お風呂あがりにヘアオイルを塗ることにした。

シャンプーとリンスは、香りとデザインが大好きなhimawariというブランドを使っていたから、ヘアオイルもヒマワリの1番オシャレなやつにした。

 

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かわいいでしょ。

ボトルも可愛くてお気に入り。

 

初めて使った次の日の朝、髪の毛が心なしかしっとりしている。

 

 

 

 

これがオイルの力っ......!!!!

 

 

 

驚いた。オイルを使うだけでこんなに変わるのか。すごい。これまで使ってなかったのが悔やまれる。

何も知らなかった。自分の無知を恥じた。ヘアオイルありがとう。

 

 

 

 

そんな感謝の気持ちも、次の日の朝以降にはなくなっていた。

なぜなら、

 

 

 

 

髪の毛がまた広がってきたからである。

 

 

 

 

毛先は目も当てられないほどパサパサ、髪の毛は顔にひっつき、あの悪夢が蘇った。

 

 

 

 

 

一時は収まったかのように見えた静電気が、再び私の体を蝕み始めたのである。

まるで私を試しているかのようである。

 

 

 

 

信じられない。ヘアオイルは私の救世主ではなかったのか。天下のヘアオイルをもってしても、今年の静電気は脅威であるということなのか。

或いは、あまり考えたくは無いが、ヘアオイルが髪にあっていないのか。

 

 

 

 

私は考えた。無い頭で考え抜いた。

どうすれば、髪の乾燥が収まるのか。私の髪の乾燥はそもそも収まるものなのか。私だけこんなに悩んでいるのかもしれない。孤独に押しつぶされそうになった夜もあった。

 

 

 

 

そんなある日、ふと思った。

 

 

 

 

「そもそもシャンプーは髪の毛に合っているものなのか?」

 

 

 

 

 

 

 

「合っていない」という仮説が真だとすると、私にとってはかなり恐ろしいものになってしまう。なぜなら、himawariのシャンプーとリンスは詰替でも高い。二つ合わせて1400円くらいはする。

私は貧乏大学生だ。働いて貯めたちっぽけなお金から、ご褒美としてこのお気に入りのヘアケア商品を買ったのに、こんなに大好きなのに、合わないのか。

 

 

 

 

まるで恋愛のようだ。好きで好きで仕方のない人には、振り向いてもらえない。私はシャンプーにすらも片想いなのか。とてつもなく悲しくなった。

 

 

 

 

 

こんな理由で、私は真実を知るのが怖かった。もしこのシャンプーが髪にあってないのだとしたら...。

でも、乾燥で悩むのはもっと嫌だ。早く解放されたい。この苦しい世界から、早く

 

 

 

 

 

 

結論から言おう。

 

 

 

 

 

 

 

 

シャンプーは髪に合っていなかった。

 

 

 

 

 

 

私の髪の毛は細い。

そして悩みは

・乾燥、広がり

・ツヤがない

である。

 

これらから導き出した私の髪に合うシャンプーは、なによりも

アミノ酸が入っていること」

である。

 

 

 

使ってたhimawariのシャンプーは、ノンシリコンではあるがアミノ酸は入っていない。

入っていないと断定してみたが正直「なんとかなんとか酸」とか「なんとかγなんとか」みたいなカタカナの成分はよくわからんかった。

 

だからネットの口コミを見て、自分に合うシャンプーを探した。

 

 

 

 

 

ちょうどいいタイミングでhimawariのシャンプーがなくなった。

私は泣く泣く、himawariにお別れを告げた。今までありがとう。いい匂いで1番大好きだったよ。これからは私じゃない誰かの髪をうるうるにしてあげてくれよ。

 

 

 

そして私が買おうとしたのはジュレーム。

松潤がCMしてるあのシャンプーである。

 

 

 

 

これも高い。アミノ酸配合のやつは普通のより100円高い。でもこれで静電気がなくなるんだったら、安いもんだ。買おう。

 

 

そう決心して2000円を握りしめ、私はドラッグストアへ向かった。

 

 

 

 

ドラッグストアにはたくさんのシャンプーやリンスが所狭しと並べてあった。

私はジュレームを手に取り、他のシャンプーも適当に見て回った。すると目に飛び込んだ文字

 

 

 

いち髪

 

 

 

 

私が中高で愛用していたシャンプー&リンスである。

中高なんて部活バカだったから、髪のことなどこれっぽっちも気にしたこともなかった。

いち髪を選んだ理由は、その商品名の由来と、デザインが大好きだったから。

 

 

 

ごめんな、いち髪

これまで君をないがしろにして。

 

 

 

 

そう思いながら使ったことのない色のいち髪を何気なく手に取り、後ろの成分説明を見た瞬間、鼓動が早くなるのを感じた。

 

 

 

 

 

 

「植物由来のアミノ酸配合」

「ノンシリコン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんと。

 

 

 

 

私が探していた条件にぴったりだった。

 

しかもジュレームより安い。

金欠な私は、5秒迷っていち髪を選んだ。

 

 

 

 

ジュレームは、トライアルキットみたいなのを買った。100円くらいのアレね。

 

 

いち髪にした理由は、昔使っていて髪が荒れた経験が無いこともあげられる。

やはり、一度使ったことがある商品は安心して買える。

 

 

 

そして、ヘアオイルもいち髪にした。

himawariのヘアオイルはどのみち残り数日で無くなりそうだったから、ちょうどよかったのである。

 

 

 

 

それにしても、昔使っていたいち髪に結局戻ってきたというのは、なんだか縁を感じる。

やはり、運命だったのか。私といち髪の出会いは。

 

 

 

 

 

その日から、私はいち髪を使い始めた。

 

 

 

 

 

それから今、1週間が経とうとしている。

 

 

近況の髪はというと、頗る調子が良い。

 

 

 

 

シャンプーだけで変わるかな?と思っていたが、かなり変わる。

あんなに静電気でパサついていた髪も、いち髪を使い始めてからは嘘のようにまとまったしっとり髪になった。

髪の絡まりも気にならなくなり、念願のさらさらヘアに1歩ずつ近づいている。

 

 

シャンプー、おそるべし。

 

 

 

まだ使用して間もないから、効果はそんなに出てないかもしれないが、出だしの調子は順調である。これからに期待。

 

 

 

 

12月から始まった、冬の乾燥 VS ぽてちの対決。

 

 

ここに、ひとまず決着。

 

 

 

Winner    ぽてち

 

 

 

 

 

私が完封勝利をするまで、この闘いは続く。

真の決着がつくのは、いつになるのだろう。

 

ただ、これだけは言える。

 

 

静電気の勝利は、絶対に、無い。

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ、春がやってくる。

 

 

 

 

 

そうだ。メインブログ、なんでも書くブログに戻そう

 

平日、午前10時。

初めてのカプセルホテルを経験した1人の女が、喧騒の街へと足を踏み出していた。

 

 

 

ぽてちである。

 

 

私が向かったのは、日本の東京「渋谷」。

 

私が好きなアーティスト(?)は言った。

「どこまでいっても渋谷は日本の東京」

 

 

山手線。

かつて夢にまでみた路線に、今では冴えない顔をして乗車している。

過去の私が知ったら、泣いてしまうだろう。

 

 

渋谷駅ハチ公口。

実を言うと、午前10時に渋谷へ1人で遊びに来るという行為は初めてである。

そもそも午前中に東京へ乗り込むこと自体が珍しい。

就職活動以来である。

 

すべてのしがらみから解放された心で踏み出す渋谷の街は、どことなく華やかで、喧騒が心地よくて、賑やかさゆえの孤独に少しだけ切なくなった。

 

 

 

スクランブル交差点を渡る。

今日の駅前には、どこかの取材らしきカメラは見当たらなかった。

 

 

 

本日、私が目的とする場所は、TSUTAYAの入っているQFRONTビル7階の本屋カフェ

「WIRED TOKYO 1999」

 

ほぼ開店と同時に入店した私は、昨日の夜から何も食べていなかったためとてつもない空腹に襲われていた。

 

 

 

サーモンクリームなんちゃらサンドウィッチを注文。

付いてきたコーヒーは12時までおかわり無料だった。1度だけおかわりをした。

 

 

 

注文したサンドウィッチ、とてもおいしい。

カルパッチョ風ソースの酸味とクリームなんちゃらの相性、そしてサーモンとオリーブが織りなす絶妙な旨味が朝の清々しい気持ちを一層引き立ててくれるようだ。

 

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2分で食べ切った。

色気より食い気、とはよく言ったものである。

 

もう一度言うがおなかがすいていただけである。

普段はもう少しゆっくり食べる。

量はご想像にお任せする。

 

 

 

 

店内の雰囲気はというと、

 

本、本、本、本…そして本。

 

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本好きにとってはたまらない空間である。

どうやら7階にある本はデザインや旅行といった趣味に関連する本が多いらしい。

 

私は一つの本を手に取った。

 

石田真澄『light years』

 

写真集である。

おそらく光をテーマにした写真集だろうと、表紙を見て思った。

 

 

TISSUE Inc. という会社が出版元らしい。

少し調べてみると、独自出版レーベルのようである。

なお、「独自出版レーベル」の意味はあまりわかっていない。

 

「TISSUE PAPERS」という印字に、ユーモアがあって好きだなと思った。

https://tissuepapers.stores.jp

 

 

写真集を読んだ後は、持参した本を読んだ。

この本は伝記のようなものであるが、身バレが怖いのでこの本の詳細への言及はやめておく。

 

 

 

 

 

本を読みながら、物思いに耽った。

 

本を読むか物思いに耽るか、どちらかにしろという感じではあるが、私は本を読みながら物思いに耽るタイプの人間である。

 

そもそもタイプ別なんてあるのか知らないが、そういう人間なのであるから、どうしようもないのである。

 

 

そして欲張りな私は、ふと思ったことを、ブログに記録しておこうと思った。

 

 

そこで思い出す。

私はメインブログを本専用のブログにしていたことに。

 

 

これまでにも、記録したいと思った事柄を、本専用のブログであるために断念したことがある。

 

 

 

「めんどうだな」

 

 

サブブログを開く。

 

 

「どうしようかな」

 

 

サブブログを閉じる。

 

 

 

 

「サブブログって必要あるのかな。」

 

「一つにまとめた方が、楽じゃない?」

 

 

 

 

 

 

最近判明したことがある。

 

私は、3つ以上のアカウント運営が苦手である。

 

Twitterも6つくらいアカウントがあるが、そのうち4つはほとんど使っていない。

 

動かしているのは、ゲーム関連アカウントと、写真アカウントの2つである。

 

 

複数のアカウント運営がなぜ苦手かというと、めんどうだからである。

 

 

そう、私はめんどくさがりやなのだ。

 

 

 

💭「そんな私が3つのブログを運営する…」

 

本を読みながら、メインブログの運営方針を新たに考え始めた。

 

その結論は3秒で出た。

 

 

 

 

「メインブログ、なんでも書くブログに戻そう」

 

 

 

 

 

 

 

優しさの究極解が表現された作品。湊かなえ『ポイズンドーター・ホーリーマザー』「優しい人」読んだ感想、考えたこと ~中編~

 

湊かなえさんの『ポイズンドーター・ホーリーマザー』。

この本の中で、とても共感した作品がありました。

 

それが「優しい人」という物語です。

 

この本の書評、前編とは打って変わった体裁になりますが、

読んで共感したこと、思ったことが多かったこの物語だけ一つの記事にしたいと思います。

 

前編はこちら↓

湊かなえ『ポイズンドーター・ホーリーマザー』読んだ感想・考察など ※ネタバレあり ~前編~ - ぽてちの本棚

 

 

 

「優しい人」

 

登場人物

奥山友彦:ただのコミュ障の男。樋口明日実に殺害される。

樋口明日実:「優しい」とレッテルを貼られた女性。人に無関心だから誰にでも優しくできる。

 

 

みなさんは、「優しさ」について考えたことがあるでしょうか。

 

私はよく考えます。

これまで考えてきた「優しさ」が、恐ろしいほどにこの物語に詰め込まれていました。

 

 

樋口明日実は、母親によって「優しい子」になれと躾られ、周囲から「優しい子」というレッテルを貼られるような子供に育てられてしまいました。

 

そう。優しい子に育てられてしまったのです。

 

 

 

「優しい」という言葉は、美しい呪いのようなものです。

 

かといって、人に優しくすることは、一般的には悪いことではありません。

 

 

躾けられたのであれ、自分で見つけた生き方であれ、

「優しさ」を意識して、「優しい」ことを行っていると、この人は優しいというキャラクターが確立されます。

 

「〇〇ちゃん/くんって優しいよね」

人に優しくしようと思って行動して、結果このような言葉をもらってうれしくない人はいますか?

 

いませんよね。

 

それが嬉しくて、「優しい」自分をどんどん前に出してしまう。

それがたとえ偽善であったとしても、

「優しい人」になりたいと思って、行動してしまう。

 

それが自分自身を苦しめることになるとは気づかずに。

 

 

そうして確立された「優しい人」というキャラクターは、

柔らかくゆるやかにその人自身を苦しみの渦に追い込むのです。

 

 

 

明日実は、昔から誰にでも優しくできる女の子でした。

 

手をつないで登校するのがルールなら、毎日鼻水を垂らして登校している男の子とも毎日手をつないだし、

胃が弱くて給食を食べた後にしょっちゅう嘔吐する男の子がいて、その吐瀉物の掃除係に任命されても文句ひとつ言わなかったし、

幼稚園の頃から同じ団地に住む、同性から嫌われるタイプの女の子と一緒にいても全く苦じゃありませんでした。

 

 

この明日実の姿は、私の中学・高校時代をみているようでした。

 

 

おいぽてち、お前はこの記事で自分が優しいとでも言いたいのか?

 

と思う人もいるかもしれません。

 

 

その質問には、肯定も否定もしないでおきましょう。

というのも、中学・高校時代の私の生き方の軸は「人に優しくすること」だったからです。

 

優しかったかと聞かれたら自信はありませんが、優しくないわけでもなかったと思います。

 

誰にでも話しかけるし困っている人には手を差し伸べる、一見すると「優しい」女の子だったかもしれません。

 

 

 

 

確か高校3年生の時、周囲からよく思われていなかった(とても最低ですが、容姿に関してブスとか言われていた)女の子のお母さんからお礼を言われたことがありました。

 

「うちの子とも優しく話してくれてありがとう」と。

 

その時はなんだか恥ずかしいような、うれしいような気持ちでした。

今思えばお母さんにこんなことを言わせるほど周囲の人間が腐っていたということになりますが。

 

 

そのあと、ふと「どうして私は人に分け隔てなく接することができるのだろう」と考えたことがあるのです。

 

当時、嫌われるのには慣れていたし、

自分がまたゴミ扱いされても失うものは何もないから、せめて誰かを救える人でいたい、という思いで「優しくなる」ことを生きる軸にしました。

 

でも、私はそれまでに3回くらい人間不信に陥っている人です。

 

私は心のどこかで人間という生き物を信じていませんでした。

 

信じたところで裏切られるから、そもそも信じない方がいい。

その方が、精神も擦り減らないし、苦しい思いもしなくて、ラク

そんな感情で、いつのまにか、「すべての人に無関心」になっていたのです。

 

 

「すべての人に無関心」だから、その場しのぎの優しさを与え、「優しい人」というキャラクターを作ってしまったのではないか。

この答えにたどり着いたのです。

 

私がふりまく「優しさ」はうわべだけを取り繕った「優しさ」で、

その中心には、実は恐ろしいほどに自己本位な本当の姿があると気づいたのです。

 

 

 

明日実は多分、人間って存在に興味がないんだと思う。深い関係を築くっていう前提がないから、逆に、誰にでも親切にできる。近寄ってきた人間は受け入れる。差し出されたものは受け取る。だけど、俺も含めて、相手はそう思っていない。

*1

 

 

 

 

「優しい人」にとっては、「優しい人」というキャラクターが確立されてからが本番です。

 

 

どんなに優しいことに気を使っていても、自分以外の他人にとってはその優しさが当たり前になっているのです。

 

だから、優しくない一面を見せたときに勝手に「裏切られた」と思われてしまう。

「どうして、これまで優しくしてくれていたのに」と。

 

 

我慢の緒が切れて素直に「嫌だ」と声をあげたときに、

「優しい子」というイメージが途端に崩れてしまう。

 

その「優しさ」がどれほどの我慢の上に成り立っているかなど想像もしないから。

 

 

実は「優しさ」の価値というものは、「優しい人」というレッテルを貼られた人が思っているよりも、とても低いところにあるのだと思います。

 

それほど「優しさ」というものは脆く、儚いのです。

 

 

優しさとはさりげない

それを知らぬ人がまた人を恨む

*2

 

 

一度「優しい人」になってしまったら、これからどんなことがあっても「優しい人」でいなければならないのです。

どんなに嫌なことがあっても。

なぜなら、周囲が「優しい人」と決めつけているから。

そんなに優しい人じゃないのに。

ただ、人に無関心でいるのが楽なだけなのに。

 

 

 

その場しのぎの優しさは、本当は優しさではない。

そう気づいてから、「優しい」と言われると「優しくないよ…」と思ってしまいます。

 

 

「明日実は優しいから」

久々に聞いた言葉だったが、昔と同じように素直に喜ぶことはできなかった。ふわふわのシュークリームを食べたと思ったら、クリームの中に砂利が混ざっていたような。そんな不快さが込み上げただけだ。

 *3

 

 

 

 

思いやりとか、人を傷つけないこととか、そういうことはもちろん大切だし、

自分の子供が生まれてきたときにも教えると思います。

でも、「優しさ」の苦しさを知っている母親は、きっと優しい子になれとは言いません。

 

「優しさ」の強要は、優しさではなく、呪いです。

 

 

これまた厄介なことに、優しいことは一般的には「いいこと」なのです。

 

だから、「優しさ」という強い光の下にある「我慢」は、闇を一層深くするのです。

 

そして「優しさ」のもつ美しい呪いは、今日もまた誰かを苦しめているのでしょう。

 

 

 

 

世の中は、全体の1パーセントにも満たない優しい人の我慢と犠牲の上において、かろうじて成り立っているのだと思います。

*4

 

 

 

 

 

今回この記事に綴ったのは優しさの究極解の1つにすぎないと勝手に思っています。

 

「優しさとは何か」

この問いに対する答えを見つけるのは、まだまだ先になりそうです。

 

 

みなさんも一度、自分の「優しさ」の答え合わせをしてみませんか。

 

 

ポイズンドーター・ホーリーマザー (光文社文庫)

ポイズンドーター・ホーリーマザー (光文社文庫)

 

 

*1:湊かなえ「優しい人」『ポイズンドーター・ホーリーマザー』2018年、173-174頁

*2:Pascal/AquaTimez 収録アルバム『アスナロウ』

*3:前掲1、172頁

*4:前掲1、186頁

湊かなえ『ポイズンドーター・ホーリーマザー』読んだ感想・考察など ※ネタバレあり ~前編~

 

こんにちは。

今日は以前読んだ、湊かなえさんの『ポイズンドーター・ホーリーマザー』に関する感想や考察を書いていこうと思います!

この前の『ユートピア』の感想はネタバレありませんでしたが、

本日はネタバレありますので、注意してください。

 

sugarpotato.hatenablog.com

 

 

 

◇◆◇本の概要◇◆◇

この本は、6作品が納められた短編集。本のタイトル『ポイズンドーター・ホーリーマザー』は、当作品の最後の短編「ポイズンドーター」「ホーリーマザー」の二つからきている。

収録作品は以下の6つ。

「マイディアレスト」

「ベストフレンド」

「罪深き女」

「優しい人」

「ポイズンドーター」

ホーリーマザー」

 

 

一つずつ考察していきます。

作品を読んでいる前提の考察になってしまいますがお許しください。

それぞれの作品の概要は簡単に書きますね。

ネタバレがあるので、苦手な方はここで読むのをお控えください。

 

 

 

 

「マイディアレスト」

概要

事件に巻き込まれてしまった妹のことを話す、6つ年上の姉の目線で物語が進む。

妹は妊娠していたが、町で妊婦を狙った暴行事件が多発していたその時期に、深夜外出中に殺害されてしまう。

 

妹がいなくなったと気づく直前、何をしていましたか?

「――蚤取りをしていました。」

 

この言葉がすべての真相といっても過言ではない。

 

親に厳しく育てられた姉と、甘やかされて育った妹。

 

男性との交際を許されてこなかった姉は、家族といても疎外感を感じている。

唯一の癒しはネコのスカーレット。通称、スカ。

 

姉はスカの蚤取りをよくしてあげている。

特に、卵で腹を膨らませた蚤をつぶすのは、プチンとはじける音が心地いいので夢中になってやってしまう。

 

 

 

事件のあった夜、妹と一緒に散歩に行くと、部屋にいるはずのスカがなぜか外にいた。

妹がスカを外に出してあげたのだった。

 

姉が知らない間に、スカにも愛すべき猫(恋猫とでもいうべきか)ができていた。

ちょうど交尾に出くわしてしまったのである。

 

スカが襲われていると思った姉は近くの角材を拾ったが、妹に「スカはちっとも嫌がってないよ」と言われてしまう。

 

姉はスカーレットがそんなことをするはずがないと思った。

しかし指先に力が入らなかった。

唯一の理解者だと思っていたスカに裏切られたことがわかって、絶望していたのだろう。

 

 

「あーあ、スカーレットに先越されちゃったね」

そう言ったのは、巨大な蚤(=妹)だった。

角材を思い切り振り上げて、蚤の腹に打ち込んだ。そして、最後に頭を潰した。

 

 

 あの夜、姉は確かに「蚤取りをしてい」たのである。

 

 

 

感想・考察

怖いですよね~(笑)

読んでいる最中に、もしかして姉が…と思ったのですが、それでもゾッとしました。

 

マイディアレスト(My Dearest)。

意味は、「親愛なる人」とでも訳せるのでしょうか。

 

・妹を殺す最中も、姉はスカーレットのことを考え、力をもらっていること

・妊婦である妹を殺害したことを「蚤取り」と言っていること

 

これらのことから想像すると「マイディアレスト」はスカーレットのことなのでしょう。

 

そして、いくつか前のページで、スカーレットに「害虫は取り除いてやるからね」と言っている姉。

これは妹も「害虫」ということですよね。

 

物語中によく出てくる「般若」というのは、おそらく長年自分のことを馬鹿にしてきた妹と母親の像。

この般若が出てきたとき、姉は衝動的な行動をとりがちです。

妹を殺した時もそうでした。

 

自分を苦しめてきた妹や母親の像が般若となり、病気的に愛猫の蚤取りをしている姉。

理解者であると思っていた愛猫の交尾に遭遇し、妹に馬鹿にされた姉は衝動的に妹を殺してしまいます。

 

姉は、かなりプライドが高い人物として描かれています。

そんな人物が、①信じていた愛猫の裏切り、②妹からの軽蔑を立て続けに受け、妹だけを殺したのは、スカーレットのことを自分の分身だと信じていた(p.36)からでしょう。

 

 

 「ベストフレンド」

概要

脚本家を目指す作家3人の話。

 

脚本新人賞

最優秀賞 「サバイバル・ゲーム」大豆生田薫子(まみゅうだ・かおるこ)

優秀賞  「月より遠い愛」漣涼香(さざなみ・すずか)

     「それからの秋、終わりの冬」直下未来(そそり・みらい)

 

漣涼香の目線で語られる物語で、この新人賞受賞式をきっかけに3人は連絡先を交換する。

涼香は最優秀賞を取った大豆生田に、敵対心を持ちつつもメールではいい人を装って交流していた。

 

大豆生田は、デビュー当初の成長は芳しくなかったものの、賛否両論を生む結末で話題になり、徐々に有名になっていった。

涼香はそんな大豆生田の姿を妬ましく思う。

 

 

大豆生田脚本の映画が銀の鈴賞という賞を受賞し、その映画祭の帰り道に事件が起こる。

涼香は大豆生田が空港のロビーに出てくるのをみると、バラの花束を胸の前に抱え直して大豆生田の前に駆け寄った。

その刹那、後ろに気配を感じ視線をやると、ナイフがちらついた。

ナイフを持っていたのは直下未来だったのである。

 

涼香はとっさに大豆生田をかばうようにして倒れた。

大豆生田に伝えたいことがあったが、それを言う間もなく死んでしまった。

 

そして、大豆生田の回想が始まる。

エゴサをしたら、「月にほえろ」というタイトルのブログで自分に対する誹謗中傷を見つけたこと。

そのブログの内容から、勝手に漣涼香のものであると断定してしまったこと(実際は直下のものだった)。

最後に罪滅ぼしのように、涼香本人のブログの記事を取り上げている。(以下引用)

 

『悔しい、悔しい、悔しい。だが、この悔しさが私を脚本の世界に留めてくれている。夢をあきらめるなと誰よりも強く語りかけてくれるのは、大豆生田薫子なのだ。親友とは、このような存在のことをいうのではないか。親友を得たことを心の底から幸せに思う。この思いを伝えるために、彼女に花を届けよう。そして言うのだ。出会ってくれてありがとう、と』

*1

 

 

感想・考察

この物語は

直下が大豆生田に恨みをもって殺そうとしていた。

そこに涼香が現れ、殺されてしまった。

という解釈ができますね。

とても単純です。

 

しかし、この物語の作者は湊かなえさんです。

直下さんの話はあまり物語中に出てこなかったので、殺そうとした人が直下さんであることには少し驚きましたが、それでも直下さんがいつか出てくるだろうな、くらいのことは予測はできたはず。

 

湊かなえさんの物語だから何か裏があるはず!

そう思っていろいろ考えました。

するとある一つの可能性にたどり着きました。

 

 

結論を急げば、

直下は漣涼香を殺す目的で、事件当日もあの場所に来ていたのではないかと思うのです。

 

以下に自分の考察を落とします。

 

 

 

物語の間あいだには、誰のものかはわからないが大豆生田に対する侮辱的で冷酷な一言がいくつか挟まれています。

 

具体的には、『田舎者はさっさと諦めろ』『プロットの書き方がわかんないとか、脚本家、舐めてんの?』などといった言葉です。

 

これは読者が想像するしかないのですが、おそらく直下のブログに書かれてあったのでしょうね。

 

作中には、大豆生田と涼香がメールでやり取りする場面ももちろんありますが、直下と大豆生田が連絡を取っていることが垣間見える内容が、大豆生田から送られてきたメールで判明します。

 

大豆生田は涼香に、直下と連絡を取っていることをわざわざ話しているということは、つまり、大豆生田は直下にも涼香の近況を伝えている可能性があるのです。

 

大豆生田は最優秀賞に選ばれ新人プロとして活躍、涼香はプロットを会議に持ち込んでもらえたりと、順調な様子を知った直下は、一人劣等感を抱えたのではないでしょうか。

 

自分で推測しておいてなんですが、直下が涼香を殺す動機は正直判りません。(笑)

 

でも、大豆生田と涼香、どちらでもよかった、あるいはどちらにも苦しみをみせたかったと考えると、

 

大豆生田は有名になりすぎて警備体制が整っている。

彼女を殺すことはできないが、その状況を利用して涼香を殺そうとした。

 

つまり、ブログも涼香が書いたように見せかけて大豆生田をあおるような文章を書きつつ、涼香本人のブログも特定し、読んでいたのではないでしょうか。

 

だから、涼香の感情の変化と、直下のブログ(と思われる)の冷酷な一言が妙にぴったりと当てはまっていた。

 

涼香のブログを読んでいれば、おのずと映画祭後の空港に涼香が来ることも分かったのであろう。

直下は屈辱を晴らそうと、あえて大豆生田と涼香の二人がそろったところで犯行をおこなった。

 

 

大豆生田を標的にしていたら、直下は涼香のあとを走ってきて殺さないと思うんです。

涼香は大豆生田に覆いかぶさるようにして倒れたとありますが、それさえも直下の計算下にあったら…と考えました。

 

私の考察はこんなところです。

真相はわかりませんが、この物語は単純に解釈するべきものではないと感じます。

 

あくまでも私のただの考察なので、うのみにしないでくださいね( ;∀;)(笑)

 

タイトルは「ベストフレンド」ですが、

本当のベストフレンドとは何なのでしょうね…

 

この物語に出てくる三人をみていると、何も信じられなくなります。

涼香にとって大豆生田は本当にベストフレンドだったのか。

今でも真相はわかりません。

 

 

罪深き女

概要

この物語は結構まとめるのが難しかったので簡単に書きます。

 

登場人物

黒田正幸:「ミライ電機」店内で無差別事件を起こし死傷者15名を出した容疑者。

天野幸奈:中学時代、黒田正幸と同じマンションで暮らしていた女

天野家の母親:シングルマザーで幸奈に男子との交際を認めない。

黒田家の母親:?

 

 

天野幸奈視点

幸奈が中学生の時の話。

黒田正幸はネグレクトを受けていて同情をしてしまう年下の男の子。

黒田家族が住む階上からは物音もしないから、母親も帰ってきていないようだ。

一方的に話しかけているうちに、すこしずつ正幸と打ち解けられた気がして、弟のような存在だと勝手に思っていた

 

正幸の母親は、子供を放っておく最低な母親だと思っていた。

だから、自分が正幸を助けるのだと、幸奈の母親の目を盗んでは世話を焼いていた。

 

ある正月の日、初詣で正幸がお母さんと手をつないで歩いているところに遭遇した。

正幸の母親は、幸奈の母親に「今度結婚することになって、引っ越すんです」という旨を伝えた。

 

それからしばらくして、正幸の母親が何者かに襲われて顔に重傷を負った。

幸奈は因果応報だと思っていた。

 

幸奈が母親と喧嘩した日、外に出ると正幸がいた。

正幸に「助けて」といったら、その夜マンションが火事になった。

 

幸奈は寝ていたが、外から男の子の声で「おねえちゃん!」という声が聞こえたから、正幸が助けてくれたのだと思った。

 

火事では、幸奈の母親と、正幸の母親が犠牲になった。

 

それから数年がたって、無差別事件が起こる数日前に「ミライ電機」で正幸と遭遇。

正幸に数年ぶりに出会えたうれしさに自分の幸せな近況ををぺらぺらと話してしまうが、正幸は幸せでなかったから裏切られた気持ちになったに違いない。

 

もしかすると、幸奈に恋心があって唯一信じられる人だったのに、その人に裏切られた絶望感から彼が今回の事件を起こしたのだと思う。

 

すべて悪いのは私だから、私を罰してください。

 

 

黒田正幸視点

中学生の時。

母親から放置されていたことは一度もない。

 

階下に住む天野幸奈の母親から執拗な嫌がらせを受け、正幸の母親は気配を消して生活するようになったのである。

そして、正幸の母親の交際相手も、正幸を大切にしてくれていた。

 

優しかった母親が変貌したのは、顔に怪我を負わされた上、職場に母親と交際相手の児童虐待を告発する文書が数回届いたことから、交際相手がノイローゼ気味になり婚約破棄になった頃からである。

 

この一連の犯人は幸奈の母親であると疑っている

 

火事が起きた時、放火をしたのは正幸だが、母親からの暴力に耐えかねたことが理由であり、幸奈は全く関係ない

 

 

そしてついこの間、家電ストアで幸奈にあったことは覚えているが、幸奈だとは気づかず、頭のおかしい女が急に話しかけてきたと思っていた。

 

犯行の動機は「運の悪い人生に嫌気がさしたから」である。

 

 

 

考察・感想

この物語における天野家の娘と母親は、思い込みが激しい部分があります。

 

幸奈は特に、一方的に想像しただけの正幸の境遇や気持ちを、まるでそれが正解のように語っています。

その姿にはかなり気色の悪い印象を受けました。

 

幸奈視点と正幸視点で矛盾している点は数々挙げられますが、この主観同士のぶつかり合いでは、どこまでが本当でどこまでが嘘かはわかりません。

しかし、正幸の人生は「女」によって変えられてしまっていることがわかります。

 

 

幸奈は正幸との関係を述べた最後に「私を罰してください」と言っていますが、絶対思ってないですよね(笑)

 

懐かしい、正幸との二人だけの思い出に酔っているようにみえます。

二人だけの秘密をこれ見よがしに話したいだけです、きっと。

疑いすぎですかね(笑)

 

そして、この幸奈の一方的で気持ち悪い話を聞かされた正幸は、取調室で唯一もっている権利「黙秘権」も剥奪されてしまいます。

 

変な言い方かもしれませんが、幸奈の話を聞くまで黙秘を続けていて、幸奈の話でどうしても訂正したい場所があって口を開いたということは、幸奈に黙秘権を剥奪されたとの解釈もできるのではないかと思います。

 

正幸の母親が暴力的になったのも、もしかすると天野家の母親のせいかもしれないし、その娘は気持ち悪いくらいの世話を焼いてくる。

そしてもう関係の途切れた数年後の取調室においてもまだ、天野家の人がかかわってくる。

 

完全に不運としか言えないですよね…

 

 

タイトルの「罪深き女」。

 

それは正幸の母親のことではなく、

きっと天野家の母親のことであり、また、取調室まで間接的にでも付きまとってきた娘幸奈のことでもあるのでしょう。

 

それにしても、過去の人間に狂わされた正幸が無差別事件を起こした店の名前、

「ミライ電機」だなんて…

皮肉ですね。

 

それとも、一つ前の話の犯人「直下未来」さんと何か関係があるのでしょうか(まあ、ないでしょう)。

 

 

中編へ

長くなってしまいそうなので、まず初めの3つの物語について考察をしてみました。

続きは中編・後編で書きます!

 

 

sugarpotato.hatenablog.com

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

こちらの本は、かわいらしいクマの人形が印象的な表紙。

姉と妹、母と娘、男と女…それぞれの心情がエッセンスとなって、物語を深くしていきます。

 

ポイズンドーター・ホーリーマザー (光文社文庫)

ポイズンドーター・ホーリーマザー (光文社文庫)

 

 

 

 

 

 

 

*1:湊かなえ「ベストフレンド」『ポイズンドーター・ホーリーマザー』光文社、2018年、97頁