えもいわれぬ

ぽてちのブログです。読んだ本とその感想の記録をメインに、日々のレポートもしています。

私が愛用しているもの

お題「愛用しているもの」

 

 

こんばんは。

 

今日は日付が変わる前にかけました。

 

今日のテーマは、「愛用しているもの」。

それは、、「はさみ」です!!

 

私のこのはさみ、実は幼稚園生の時から使っているのです。

だからかれこれ、、約20年くらい?

今初めて計算しましたが、すごい(笑)

このはさみ、とても切りやすいんですよね。

やっぱり小さい子が使うから、あまり力をいれなくても切れる仕様になっているようです。

 

小学校、中学校、高校、大学、すべての歴史をこのはさみと共に歩んできたといえます。もう形見にしていいレベルです(笑)

でもこれまで、刃こぼれして切れなくなった、ということがないので、本当にモノがいいんだなと感じます。

壊れる気配はみじんもなく、私の方が先にどこか悪くなるのではないかと心配になります。

 

そのはさみが、コレです。

 

f:id:sugarpotato:20181018225420j:plain

 

いまだにキャップ付きです。

みなさんも、幼稚園や保育園に通っていたときはこんなはさみでしたか?(笑)

私はこれとずっと一緒にいるのが当たり前になっているので、

もしこのはさみが壊れたり、なくなったりしたら結構悲しいと思います。

 

世界文化社さんのページではさみを検索してみましたが、もうこのはさみは売ってないみたいですね。残念です。

メルカリとかにはあったのですが…

 

もしかしたら私の検索があまいだけかもしれないので、もし見つけたらコメント等で教えていただけると嬉しいです('ω')

 

他にも、小学生の時に通っていたそろばん教室の先生からプレゼントしてもらったピンク色のシャープペンシルとか、中学生の時に気に入って親に買ってもらったキーケース(これもピンク)とか、10年くらいずっと続けて使っているものが多いです。

普段はきにしないのですが、こうやって思い出してみると少し懐かしさがこみ上げてきますね。

 

ちなみにシャーペンはこれです。

 

 このシャーペン使いやすいですよね。

久しぶりにこの色の新品を見たのですが、こんなに色鮮やかだっけ…?と思いました(笑)

 

私はこれをいただいた当時、シャーペンにあこがれていた時期でもあったので、とてもうれしかったのを覚えています。

だから、私はそろばんの先生にいただいたものを壊れるまでずっと使い続けようと思います。

 

キーケースはブランドがわからないので省略します。

 

はさみから話題が逸れてしまいましたが、一応全部愛用しているものなので許してください(^^)/

 

みなさんは、愛用し続けているものとかありますか?

使いやすいコスメとか、スキンケアとか、結構同じものを愛用している方が多いイメージです。

ぜひぜひおしえてください♪

 

では、今日はこの辺で。

明日は夜遅くまで用事があるので、ブログの更新はできないと思います!

毎日更新かかげてるのに、すみません。

 

本日も読んでいただいてありがとうございました。

ではまた20日にお会いしましょう!

 

充実した一日

 

こんばんは。

本日も遅くなってしまいました。

 

最近は、ブログ以外のやるべきことをこなすのに精一杯で、ブログを書き始めるのが日付をこえてしまいます。

これは一応10月17日分です。(笑)

 

本日は、研究のまとめと課題、溜まっていた家事をこなしました。

自分の目標は一応全部達成できたのでよしとします。

朝から起きて、久しぶりに頑張った一日だったと思います。

 

こうやってすべてをこなせた日は、疲れもあるけど充実感のほうが大きい一日なので、結構好きだったりします。

 

さて、このブログで3日目ですが、

これからどんなことを書こうかな、と本日考えてみました。

 

私は前の記事でも言ったように遊郭が好きで、全国のいろんな遊郭のことをもっと知りたいと思っているので、

「ぽてちのおさんぽ」で、まず一地域を取り上げその場所についての調査→現地を歩いてみた感想 という形で記録に残せたらなあと思っています。

旅行も好きなのでちょうどいいかなとか思ったり☺

 

こちらのメインブログでは、その他の趣味の写真とか、本の紹介、あとは食べるのが好きなのでレストランの紹介などができたらいいなと思っています。

 

本当は、今日やった研究内容と、課題のことも詳細に説明したいのですが、身バレなどが怖いので時効がくるまでは控えておきます。

時間があれば本を読んでその本を紹介しようかと思っていたのですが…(笑)

それができるほど余裕がなくて、もっとマルチタスクをうまくこなせるようになりたいです。

 

今は、遊郭のことをどの地域から調べようかなーと考えている時間が楽しいですが、無難に東京から、って感じになりそうです。個人的には公娼よりも私娼が蔓延していた非合法の遊郭があった所が気になっています。

でもやっぱり江戸の遊郭といえば吉原なので、基本から攻めるのもありですね。

早く遊郭のこと調べたくてうずうずします。

 

もしこの地域(日本国内でお願いします)のこと知りたい!とか、遊郭関係なくてもいいのであれば教えてほしいです('ω')

 

では今日はこの辺で。

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!

グリルで調理

 

こんばんは。

日課にするって言ったのに、2日目からブログの存在を忘れるところでした。あぶない。(笑)

 

今日、グリルを初めて使って料理をしました。

つくったのはドリア。

昨日作ったシチューの残りでアレンジしました。

 

魚のグリルって一人暮らしだとあまり使わなくないですか?そうでもないのかな。

私は後処理とかちょっと大変そうなので敬遠していましたが、先日スキレットを手に入れたので、グリルを使いたい機運が高まりました。

 

驚いたのは、グリルを点火するときのチチチチチチ…ってやつが、めちゃ長いこと。

うちだけですかね?笑

 

仕組みが全くわかりませんが、ガスがきてないのかな?!とか思って焦りました。

 

でも、ちゃんとついて、ドリアが調理できました。

しかもめっちゃおいしい!最高です。

 

やっぱり、自炊のご飯が一番おいしい。

この頃、お魚を食べたいと思ってるので、近いうちにグリルで焼いてみようと思います!

 

では、今日は手抜き日記ですが笑、

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

明日も書きます〜!

 

日課

 

こんにちは、ぽてちです。

 

先ほど久しぶりにログインしたのですが、のPVが1000を達成したようです!

すごい!

初めての経験で驚いてます(笑) 皆様、ありがとうございます。

こんなしょぼしょぼの内容ばかりですみません。

頑張ったのは湊かなえさんのユートピアの考察?みたいなやつだけです…

これからも頑張ります。

 

本日ブログを更新したのは、今度こそ毎日更新するぞ!

という意気込みを表明したかったのと、

これからの私の日課について、書きたかったからです。

 

①ブログ毎日更新について

 

実は先日誕生日を迎えて、キリがいいので本日からブログを毎日書こうと思いました。

でも、毎日内容考えるのってめっちゃ難しいんですよね。

だから、内容が思いつかなかったときは本の紹介とか、私が好きな街の話とか、写真のこととか書きます(笑)

本当に思いつかなかったときはその日やったことを書きます。日記みたいなものですね。

 

毎日ダラダラ過ごすよりは、メリハリをつけた生活を心掛けるようにしようと決意しました。

 

 

②これからの日課

 

みなさんは日課にしていることはありますか?

私は、毎日欠かさずすることといったら、ストレッチです。

中学生の時。部活の関係でストレッチを毎日していたのですが、それがいつの間にか日課になり現在でも続けています。

毎日しないと体が硬い感じがして気持ち悪くなります(笑)

 

そんな私ですが、日課を増やそうと思います。

一つ目は 「ブログを更新する」

 

もう一つは、自分の趣味のことなのですが、

私は歴史がすごく好きなので一日1度はどこかの歴史に触れるようにしようと思いました。

まずは近場の東京から。とりわけ遊郭・花街関係がとても好きなので、その内容に関しては、ブログ「ぽてちのおさんぽ」で紹介しますね。

 

だから、「ブログを更新する」「歴史に触れる」この2つをこれからの日課にしようと思います。

 

 

では今日はこの辺で。

お付き合いありがとうございました!

 

 

 

 

 

湊かなえ『ユートピア』 読み終わった感想、考えたことなど ※ネタバレあり

 

なんとも久しぶりに、小説を読んだ。

その小説は、湊かなえさんの『ユートピア

 

なんかいろいろ考えたり感じたことがあったので書きます。

 

 

【私の物語の好み】

 

私は基本的に、本は小説しか読まない。

そして小説も、サスペンスやイヤミス系がほとんどである。

それでなければ時代小説(これは歴史オタクのときにお世話になっていた)。

 

恋愛系の小説はほとんど読まない。

読んだことがあるのは、最近でいうと

住野よるさんの「君の膵臓を食べたい」 と

長谷川夕さんの「僕は君を殺せない」 の2作品くらい。

 

本が好きなので恋愛系の小説も読みたいと思っているが、それでも本屋で手にするのは専らミステリー小説や推理モノばかり。

ドラマに関しても同じことが言える。

 

どうして私はこんなに偏った趣向なのか?と最近特によく考えていたが、

本作品の最後「解説」を読んでなんとなく答えが見つかった気がする。

 

 

その答えというのは、ありきたりだけど

 

見えなかった真実が段々はっきりしてくる快感と、

自分がその場にいて推理している臨場感を味わえるから

 

「騙されたっ!!」となるような

巧妙なトリックに引っかかるのが楽しいから。

 

やっぱりこれなのかなと思う。

 

 

特に湊かなえさんは昔からファンだけど、なぜ彼女の作品に惹かれるのか、

それをわたしは今まで

「物語の中にある数々の伏線が複雑に絡み合い、

 最後の最後に大きな一つの流れになってすべて回収される」

この点に評価の比重を置いていた。

 

でも、「解説」されていた

登場人物同士の「強い主観」がぶつかり合う

という彼女の作品の特徴。

この文章を見たときに、

「(私が彼女に惹かれているのは)これだ!!!!!」と思った。

 

湊かなえさんの物語は数人の登場人物の主観で進められていくことが大半であると感じるが、

その登場人物一人ひとりの気持ちがリアルに表現されていて、時に恐ろしいと思うほどである。

 

そんな主観がぶつかり合った時に最も、読者の私は

人間関係の闇のような、真理のようなものに触れるような気がして、

その時間がなんとも苦くて、ハラハラして、好きである。

 

そして、最後も心の底から「ハッピーエンド」と言えたことがない。

イヤミスの醍醐味

それがとてもリアルで、良い。

 

 

わたしの脳内がサイコであると思われそうなので

この辺にしておく。

 

 

 

【この作品について】

 

ネタバレを含むので

苦手な方はここで読むのをお辞めください。

 

 

 

具体的な内容。

この作品の一つのキーワードは「翼」

 

●●●●●

 

鼻崎町を舞台に、3人の女性  堂場菜々子(地元人)、相場洸稀(転勤族)、星川すみれ(芸術村の陶芸家)  を中心として物語が進む。

鼻崎町は海に面する自然豊かな地域。端的に言うと、田舎である。

日本有数の食品加工会社、八海水産(通称:ハッスイ)の国内最大規模の工場があったので一時期は人口も多くにぎわっていたが、最近はハッスイの売り上げも頭打ちで人もまばらになってきた。

 

そんな鼻崎町を活性化しようと立ち上がったのが、鼻崎岬の「芸術村」に住むアーティストたち。すみれを中心に、すみれのパートナー宮原健吾やその他数人の芸術家が先導し、商店街で行われる祭りを従来とは違ったテイストに仕上げ、成功を収めたかと思われたが…

 

祭りの企画で、クラムチャウダーとエビマヨコロッケの無料販売を行っていた料理屋が火事に。その影響で洸稀の娘 彩也子がケガを負う。交通事故で歩けなくなり、車いすで生活をしている菜々子の娘 久美香を助けようとしたためである。

 

そんな子供二人は祭りを通して仲良くなり、そのケガによってさらに親睦を深める。

彩也子が久美香に、すみれの作った翼のストラップをプレゼントしたことが1つのトリガーポイントとなり、物語が展開する。

 

彩也子が久美香にあてた詩「翼をください」が新聞に掲載、それをきっかけに芸術村のすみれは自分の翼の作品をその詩とともにネットで拡散。車いすで生活をしている人を支援する会、「クララの翼」を立ちあげ、売上を支援団体に寄付するボランティア活動を始めた。

予想以上の反響で、雑誌やテレビにまで取材を受けるほどのものになった。

 

しかし喜んだのも初めだけで、彼女たちの活動をよく思わない人たちも出てきた。

また、ある噂がネットで流れはじめ……

 

 

 

 

 

ところで、鼻崎岬では、昔殺人事件があった。

その場所を近年、芸術家が集う街「芸術村」として再興した。

殺人事件の犯人は「芝田」という人物。

「お前、芝田か?」の指名手配のチラシは全国で有名である。

 

 

 

 

 

クララの翼」の活動も潮時を迎えたころ、菜々子のもとに一通のファクスが届いた。

『子どもたちは預かった。無事返してほしければ、今夜10時、鼻崎灯台(鼻崎岬)に金を持ってこい。警察に知らせると子どもたちの命はない』

 

 

 

 

 

最近、「殺人犯が帰ってきた」と専ら町の噂であった。

芝田である。

菜々子の夫修一は、このファクスを見た時に「芝田かな」と口にした。

久美香と彩也子は誘拐されてしまった。あの殺人事件の犯人芝田に…。

 

洸稀とその夫に連絡して対策を話そうとしたほぼ同時刻、

斜向かいの住民が岬の方を指さし、何か只事ではないような雰囲気で話しているのが見えた。

 

「岬のほうが火事なんだって」

 

 

駆けつけると、火の手は商店街の祭りの時とは比べ物にならないほど燃え上っていた。

出火元は、すみれの工房。パートナーの宮原健吾が建ててくれた。

そんな炎の中から、久美香と沙也加が出てきた。

 

久美香は、自分の足で立っていた。

 

 

 

 

火事の騒ぎも収まった数週間後、さらなるニュースが飛び込んできた。

燃えた工房の下から、白骨死体が発見されたのである。

 

 

 

芝田の遺体だった。

 

●●●●●

 

 

 

内容は、こんな感じ。

色々端折りすぎてとても申し訳ない。

 

もっと伏線がそこかしこにちりばめられているので気になる方は読んでみてください。

 

 

さて、私はネタバレになる、と言いながらこの作品の一番のネタバレを言っていない。

その核心に迫る内容をあえて書いていない、と言った方が正しいのか。

 

ここまで読んで、内容をなんとなくつかんでもらえていたらありがたい…が、

上手くまとめられた自信が全くない。

 

 

ここで考えられる疑問点をいくつか挙げてみる。

 

① ネットでのある噂って何?

② 久美香と彩也子はなぜ一緒にいたの?

③ 芝田はなぜ死んでいたのか?

④ 岬での火事はなんだったのか?

 

こんなところだろうか。

 

順に解説していく。

 

① ネットでのある噂とは、

「久美香ちゃんは実は歩けるんじゃないか」というもの。

その噂は女子高生が発端である。

また、久美香と同じ小学校の同級生もそんな風に噂している。

その噂はもともと町中に広がっていたが、みんな口に出さない。

ネットに一つ書き込みがされたことで、町の住民もネットに同じようなことを書き込み始めた。

 

 

 

②その日は放課後、2人一緒に図書館で工作教室みたいなものに参加するといっていたから。

 

 

③、④はこの物語の核心。

2つを解説しようと思ったが、やめた。

③に関しては推測の域を出ないし、

④は自分で読んで確かめてもらった方が、スリルがあって楽しいので。

 

 

 

え?気になる…?(誰も言ってない)

仕方ないなあ。

 

では、この物語の黒幕だけ伝えておく。

それは、宮原健吾。すみれのパートナーである。

 

 

 

 

感想。感じたこと。考えたこと。

 

このブログに物語の簡単な顛末を書くのにさえ

「あの内容も入れるか?」

「でも入れたらもっと長くなってしまう…」

と葛藤をしたのだから、物語の伏線の量は尋常じゃないと改めて感じた。

 

 

 

そして、物語のクライマックス。

彩也子の日記で、全ての真相が明らかになる。

それを読んだ時の「うわ………」という、

唖然というのか、呆然というのか、

 

真実が明らかになったのに

やりきれない気持ちだけが残る感覚。

 

物語を読み終え本を閉じた後も、

しばらく脳内を物語に支配される感覚。

 

 

そんな感覚が、少し不気味で、でも心地よくて、

私は、そんなイヤミスの中毒性の虜になってしまっている。

 

 

 

 

「善意は悪意より恐ろしい」

 

この本の帯である。

一度読んだだけだから、この意味がきちんとつかめていないかもしれないが、なんとなくわかったような気もする。

この物語の登場人物には、悪意に満ちた人はいなかった。

 

ここでいう善意は、人にやさしくしようとか、思いやりを持とうとか、そういう次元の「善意」ではなくて、もう一歩踏み込んだ「善意」

人の気持ちを汲み取り、その人が不快にならないように、動揺しないように、

先に立ちまわったり、あえて遠回りをしたり。

そういう善意かな。

 

あとは、民法とか刑法とか、そういうものを勉強するときの「善意」の意味も含まれているような気がした。(善意:ある事項について知らないこと。)

 

 

 

物語の中で、主観がぶつかり合っていた。恐ろしいほどに。

でも、直接はぶつけない。

それを「優しさ」だと思う人間たちの物語だったが、それは本当に優しさだったのか。

甚だ難しい疑問である。

 

 

 

噂が数日で町中に広まる様子。

噂が1日で広まる田舎に育った私には、十分すぎるほどリアルで恐ろしかった。

 

 

憧れの町ユートピアは、自分の心の中にしか存在しないのだと

確信を持たせてくれた とても素敵な作品だった。

 

 

 

 

 

ユートピア (集英社文庫)

ユートピア (集英社文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぽてちの朝ごはん事情

お題「朝ごはん」

 

こんにちは。ぽてちです。

 

気が向いたので書きます(*^▽^*)

 

 

今日のお題は「朝ごはん」!

ということで、私の朝ごはん事情について語っていきたいと思います(誰得)。

 

私の朝ごはんは小さい頃から専ら……ポテチ

 

と言いたいところですが…

 

正解は、パンです!

 

だから、今でも朝ごはんは食パンを食べています。

 

 

これまでは、ピーナッツクリームフルーツのジャムを載せたり、マーガリだけで食べたりしていました。

 

 

 

 

でも最近、新しいレシピを考案しました(*'▽')

 

 

 

.*〇ーーー〇ーーー〇ーー レシピ --〇ーーー〇ーーー〇*.

【材料】1人分

食パン 1枚

玉ねぎ 1/4個(みじん切り)

卵 1個

スライスチーズ 1枚

ケチャップ 適量

マヨネーズ 適量

黒胡椒 適量

 

【作り方】

① 卵と玉ねぎを炒める

② 食パンの上にケチャップ、マヨネーズをかける

③ ①を②の上に載せ、その上にチーズを置く

④ トースターに乗せて6分30秒くらい焼く(オーブントースターのトースター機能でやってます)

⑤ 黒胡椒をかけてできあがり!

 

 

.*〇ーーー〇ーーー〇ーーーーーーー〇ーーー〇ーーー〇*.

 

朝からお腹いっぱいだし、おいしいです!

これまでは食パン一枚にマーガリンを載せるだけだったので、すぐにお腹がすいていたのですが…

この朝ごはんを食べるようになって、腹持ちがよくなりました。

そして、ほとんど家にあるものだしコンビニでも揃うと思うので、

よかったら試してみてください(^^)/

 

 

〈補足〉

玉ねぎが無かったら、卵だけスクランブルエッグにしても、目玉焼きにしてもとってもおいしいので手軽にできます(*´▽`*)

 

 

 

では、今日はこの辺で。

読んでいただきありがとうございました。

 

お題が全然見つからなくて困ってるので、

何かいいテーマがあればおしえてください

 

 

ぽてち

 

この世界の色の不思議

 

 

今までの人生の中で、「色」についてこんなにも真剣に考えたことがあっただろうか。

 

 

 

先日、色について少しだけ学ぶ機会があった。

 

ご存知の方も多いと思うが、「色」というのは「モノ」が吸収できなかった光のことであり、モノ自体がその色を持っているわけではない。

例えば、みかん。みかん=橙色という印象であるが、私たちが見ている橙色は「みかん」という物体に吸収されずに反射した色なのである。

言い換えれば、「みかん」そのものが持つ色は「橙色以外の光の混合色」であるということだ。

 

 

私はこの話を改めて聞き、自分が見えている世界がわからなくなった。

この世界においてみかんを「みかん」たらしめているのは紛れもなく「橙色」であるが、この「橙色」は「みかん」そのものには含まれていない。つまり「みかん」そのものは「橙色ではない」。

 

私はあのオレンジ色の甘酸っぱい果物をみかんと呼んでいて、オレンジこそがみかんのアイデンティティだと思っていた。

しかし、私たちが見ているのは吸収されず反射された光。みかんはオレンジ色を持たない。

じゃあ私が見ているみかんって何色なんだ?

 

みかんだけじゃない。

全ての物体が光を反射し、物体に吸収されなかった、つまり反射した光がこの世界を構成している。

 

私が見ているこの世界は果たして本物なのか?

 

でも、もしこの世界が偽物だとして、私たち人間にとっては私たちが見えている世界(=可視域)が絶対であり、それ以上もそれ以下も知り得ない。

そして、光を吸収したモノの本当の色を(簡単には)知ることもできない。

 

だから、「この世界は本物である」という命題を(少なくとも色視点では)崩しうる反例がみつからず、「この世界は偽物である」というのは一つの可能性、仮定で終わってしまう。

 

 

もし人間の可視域がもう少し広かったら?

もし人間の可視域が今とは別の場所に存在していたら?

 

少なくとも、今見ている世界の常識は、常識じゃなくなるだろう。

今見ているモノの色も。色の種類も数も。

 

この世には誰も見たことがない色が確かに存在していると思うと、少し不思議で、わくわくして、でも少し切ない。

 

だから、私たちが見ているこの世界がきっとすべてではないと思う。

 

 

日常生活でもそう。

 

目の前に確かに世界は存在するので、見えていることがすべてだと思い込んでしまう。

でもそこには同時に、みかんに吸収された光のように「見えないこと」も潜んでいるのだと思う。

 

私たちは、みかんに吸収された色は見えない。これは生態上仕方のないことである。

でも、日常生活に吸収された「見えないこと」の中には、見ようと思えば見れることもある。

それは例えば、今見ている世界を少し視点を変えてみてみること、今見ている世界がどう構築されたのか考えること、そういう角度から見えることがある。

 

 

生物学的な人間の「可視域」は広げられなくても、自分自身の「可視域」は広げられるのではないか。

光の反射が映し出す世界は、そんなことを考えさせてくれた。

 

 

 

p.s.人の気持ちは、どんなに頑張って見ようとしても見えません。

 

 

以上、お読みくださりありがとうございました。