辻井南青紀『蠢く吉原』あらすじ、読んだ感想 ※ネタバレあり
こんばんは。
今日は辻井南青紀さんの『蠢く吉原』を読んだので、その感想を書きます。
こういうブックレビューみたいなのを最近はじめてみましたが、自分のブックダイアリー的な意味を込めて書いているだけです(^^)/
この本は表紙に惹かれて気づいたら手にしていました。まあ、私が江戸時代の色街が好きだという要素も大きいのかもしれませんが…
吉原と言えば、江戸の花街ですよね。吉原は大火によってその場所を移転したらしいです。昔の吉原は今の日本橋人形町あたり、新しい吉原は今の浅草千束町あたりに移転しました。前者を旧吉原、後者を新吉原といいます。
この物語は新吉原での物語です。
あらすじ
簡単に書きます。
主人公はお七と平太、男女です。
2人とも小さい頃身を売られて江戸に来ました。
お七と平太は、大きくなったら必ずまた会うと約束して離れ離れになりました。
お七は大きくなって吉原の花魁になりました。源氏名は「司」。
平太は材木問屋で奉公人をした後、無宿人となって自分の手一本で過ごしていました。でも平太は力持ちだったので、仕事はいくらでもありました。
桜の咲く季節に毎年行われる隅田堤の力自慢大会では、江戸時代開幕以来誰も持ち上げたことのない70貫の石(約260㎏)を持ち上げ、平太の力持ちは江戸中で噂になりました。
吉原の女中もそのお祭りに来ていました。というのも、江戸で有名な絵描き「市右衛門」が、怖い金持ちの「弥平」(後々物語のもう一人の重要役になる)に、司という花魁を紹介する席としてそのお祭りを選んだからでした。
そこで司(お七)と平太は一度顔を合わせるのですが、そこではまだ気づきません。
弥平は司の美しさにあてられて、その夜司と仕舞をつける(一晩買切る)ことに決めました。
いろいろあって吉原には平太も顔を出しました。司は今日の客弥平よりも、同じ席にいた平太が気になったので、弥平と二人になった時理由をつけて部屋を抜け出し平太を探し出しました。
そこで平太は司がお七だと見抜き、お七は平太だとわかったのです。
でもその時点で、司は弥平に身請けされることが決まっていました。ほんの数分前にきまったことでした。身請けというのは、お金持ちの旦那に自分(遊女)を買い上げてもらい、遊郭での暮らしから普通の暮らしになることを意味します。
平太はそれでもお七に会いに行くと約束しました。
お七は身請けされましたが、少ししてから平太が迎えに来て、二人で逃げ出しました。お互い、二人でなら死ぬ覚悟もできていました。というか、このまま二人で生きて添い遂げることは、色んなところに口や顔の利く弥平からは困難だったため(見つかったら離れ離れ)、死ぬしかありませんでした。
一度江戸を出ますが、また江戸にもどってきます。自分たちが死ぬ場所は江戸だと思ったからでした。2人は、平太が寝泊まりしていた長屋で毒を飲み、刺し違えました。しかしそれを弥平の手下が見つけ、間一髪のところで二人とも命を取り留めました。
このように、心中することを「相対死」といいます。二種類あって、二人で刺し違えて同じ場所で死ぬか、違う場所でも同じ時間を約束しあって死ぬか、の二つです。相対死できず二人生き残っていたら、男は非人として罪人の刑執行に携わり、女は遊女へ逆戻りでした。1人だけ生き残った場合は、その人は死罪となります。
そのままいけば二人は一生非人と遊女の人生でしたが、なんやかんやあって2人は弥平に買われ、町人にもどりました。お七は弥平のもとでほぼ監禁みたいな生活を送りました。弥平は平太に強く嫉妬していたので、生き地獄を味わわせるために生かしました。
2人が町人に戻ってからは、お七と平太は一度も顔を合わせていませんでした。平太は行方知らずになったので、その生死さえ不明でした。
お七は隅田堤の力自慢を毎年見に行っては、平太がその大会に出ていないことに落胆し続けていました。月日がたち、また桜の舞う季節になりました。お七は生きているか死んでいるかわからないくらいにやせ細ってしまいましたが、お花見に行きたいという気持ちだけは持っていました。だから、この年も力自慢を見に行きました。
大会には、なんと平太が出ていました。弥平はずっと彼の行方を追っていたので、「今ここで抜刀してお七と俺が命を絶ったら、平太に生き地獄を見せられる」そう思ったのですが、そんな勇気は弥平にありませんでした。
平太とお七は、力自慢の舞台と観客席にいながら、お互い強く目を合わせて頷き合いました。
お七は帰り道、これまでの元気のなさが嘘のように足取り軽く歩いていました。弥平はお七の足の速さに追いつけず、行き交う人の波にもまれてとうとうお七の姿を見失ってしまいました。
夜の帳が降りたころ、弥平に知らせが入りました。
大川橋のたもとに1人の女が首を切って自殺しているのが見つかったと。お七でした。その対岸には、小柄だががっしりとした男(平太)が同じく首を切って自殺しているのが見つかりました。
2人は相対死を遂げ、あの世で夫婦になれたのでした。
感想
心中ものを読んだのはこれが初めてでしたが、とてもすっきりしました。
あらすじには省いていますが、平太とお七が江戸に来た時の描写で、大川(隅田川)橋の下に女の死体が浮いている描写があります。そこで平太は「絶対にこんな風にはならない」と誓っているのです。
また、お七が花魁になれたいきさつとして、それまでの吉原の花魁「奥州」が役者下がりの男と心中未遂をして死にきれず、大川橋の端と端に晒し者になり、その代わりとしてお七が花魁になった、というものがあります。
そしてお七と平太も、同じ場所に晒し者になったのですが、その場所で相対死したのです。
また、小さい頃に「また必ず会おう」と二人が約束したのも、またこの橋の上でした。
駆け落ちの時に江戸から出て、死ぬ場所が江戸であると思って引き返したのは、もしかしたらこの橋を思い出したからかもしれません。
平太の誓いは叶わず、皮肉にもその誓いを立てた橋の下で、同じような姿でお七と共に亡くなりました。
このように、『蠢く吉原』という本の中で大川橋はとても大きな役割を果たしていました。これ以外に橋は出てこなかった気がします。
ちなみに、大川橋というのは現在の吾妻橋です。何度も訪れたことがあるし、私自身も好きな風景だったので想像しながら読むことが出来ました。
ちょうど私が今年の春に撮った吾妻橋と隅田川沿いの桜並木があったので載せます。
この場所はかなり有名ですよね。
浅草に行くと必ず渡る橋だと思います。
私は、川って昔からなかなか変わらないので好きですね。
川を見ると、江戸時代の人も同じこの流れを見ていたんだな~とか、考えずにはいられません。
物語の話に戻ります。(笑)
個人的に、弥平が気に食わなかったので最後(あらすじでは省きましたが)因果応報をくらって本当にすっきりしました~(笑)
気になったのは、市右衛門の行方と彼が描いて世間を賑わせたという絵図ですね。相対死を遂げようとする男女と、その二人を地獄に突き落とす男の絵が描かれていたということですから、多分お七と平太、そして弥平のことですよね。
その絵を見た人はあまりの凄惨さに意識を失うとか、その絵に憑かれてずっと見入っているとからしくて、それが物語の中で、どういう位置づけなのか…というのをあまり考察できませんでした。
お七と平太の深い絆と、他人から見た弥平の姿の酷さを客観的に捉える一つの指標なんですかね。
やっぱり遊郭を舞台にした小説って心中もの多いですよね。実際にも心中は多くあったみたいです。それをパロディにして歌舞伎とかで演じていることも珍しくないとか…
愛と憎の激しい物語でしたが、個人的には最後は二人が結ばれてよかったです。
気になった方は是非読んでみてください(^^)
最後にリンクを載せておきます。
本日も長文読んでいただきありがとうございました!