えもいわれぬ

ぽてちのブログです。読んだ本とその感想の記録をメインに、日々のレポートもしています。

湊かなえ『ユートピア』 読み終わった感想、考えたことなど ※ネタバレあり

 

なんとも久しぶりに、小説を読んだ。

その小説は、湊かなえさんの『ユートピア

 

なんかいろいろ考えたり感じたことがあったので書きます。

 

 

【私の物語の好み】

 

私は基本的に、本は小説しか読まない。

そして小説も、サスペンスやイヤミス系がほとんどである。

それでなければ時代小説(これは歴史オタクのときにお世話になっていた)。

 

恋愛系の小説はほとんど読まない。

読んだことがあるのは、最近でいうと

住野よるさんの「君の膵臓を食べたい」 と

長谷川夕さんの「僕は君を殺せない」 の2作品くらい。

 

本が好きなので恋愛系の小説も読みたいと思っているが、それでも本屋で手にするのは専らミステリー小説や推理モノばかり。

ドラマに関しても同じことが言える。

 

どうして私はこんなに偏った趣向なのか?と最近特によく考えていたが、

本作品の最後「解説」を読んでなんとなく答えが見つかった気がする。

 

 

その答えというのは、ありきたりだけど

 

見えなかった真実が段々はっきりしてくる快感と、

自分がその場にいて推理している臨場感を味わえるから

 

「騙されたっ!!」となるような

巧妙なトリックに引っかかるのが楽しいから。

 

やっぱりこれなのかなと思う。

 

 

特に湊かなえさんは昔からファンだけど、なぜ彼女の作品に惹かれるのか、

それをわたしは今まで

「物語の中にある数々の伏線が複雑に絡み合い、

 最後の最後に大きな一つの流れになってすべて回収される」

この点に評価の比重を置いていた。

 

でも、「解説」されていた

登場人物同士の「強い主観」がぶつかり合う

という彼女の作品の特徴。

この文章を見たときに、

「(私が彼女に惹かれているのは)これだ!!!!!」と思った。

 

湊かなえさんの物語は数人の登場人物の主観で進められていくことが大半であると感じるが、

その登場人物一人ひとりの気持ちがリアルに表現されていて、時に恐ろしいと思うほどである。

 

そんな主観がぶつかり合った時に最も、読者の私は

人間関係の闇のような、真理のようなものに触れるような気がして、

その時間がなんとも苦くて、ハラハラして、好きである。

 

そして、最後も心の底から「ハッピーエンド」と言えたことがない。

イヤミスの醍醐味

それがとてもリアルで、良い。

 

 

わたしの脳内がサイコであると思われそうなので

この辺にしておく。

 

 

 

【この作品について】

 

ネタバレを含むので

苦手な方はここで読むのをお辞めください。

 

 

 

具体的な内容。

この作品の一つのキーワードは「翼」

 

●●●●●

 

鼻崎町を舞台に、3人の女性  堂場菜々子(地元人)、相場洸稀(転勤族)、星川すみれ(芸術村の陶芸家)  を中心として物語が進む。

鼻崎町は海に面する自然豊かな地域。端的に言うと、田舎である。

日本有数の食品加工会社、八海水産(通称:ハッスイ)の国内最大規模の工場があったので一時期は人口も多くにぎわっていたが、最近はハッスイの売り上げも頭打ちで人もまばらになってきた。

 

そんな鼻崎町を活性化しようと立ち上がったのが、鼻崎岬の「芸術村」に住むアーティストたち。すみれを中心に、すみれのパートナー宮原健吾やその他数人の芸術家が先導し、商店街で行われる祭りを従来とは違ったテイストに仕上げ、成功を収めたかと思われたが…

 

祭りの企画で、クラムチャウダーとエビマヨコロッケの無料販売を行っていた料理屋が火事に。その影響で洸稀の娘 彩也子がケガを負う。交通事故で歩けなくなり、車いすで生活をしている菜々子の娘 久美香を助けようとしたためである。

 

そんな子供二人は祭りを通して仲良くなり、そのケガによってさらに親睦を深める。

彩也子が久美香に、すみれの作った翼のストラップをプレゼントしたことが1つのトリガーポイントとなり、物語が展開する。

 

彩也子が久美香にあてた詩「翼をください」が新聞に掲載、それをきっかけに芸術村のすみれは自分の翼の作品をその詩とともにネットで拡散。車いすで生活をしている人を支援する会、「クララの翼」を立ちあげ、売上を支援団体に寄付するボランティア活動を始めた。

予想以上の反響で、雑誌やテレビにまで取材を受けるほどのものになった。

 

しかし喜んだのも初めだけで、彼女たちの活動をよく思わない人たちも出てきた。

また、ある噂がネットで流れはじめ……

 

 

 

 

 

ところで、鼻崎岬では、昔殺人事件があった。

その場所を近年、芸術家が集う街「芸術村」として再興した。

殺人事件の犯人は「芝田」という人物。

「お前、芝田か?」の指名手配のチラシは全国で有名である。

 

 

 

 

 

クララの翼」の活動も潮時を迎えたころ、菜々子のもとに一通のファクスが届いた。

『子どもたちは預かった。無事返してほしければ、今夜10時、鼻崎灯台(鼻崎岬)に金を持ってこい。警察に知らせると子どもたちの命はない』

 

 

 

 

 

最近、「殺人犯が帰ってきた」と専ら町の噂であった。

芝田である。

菜々子の夫修一は、このファクスを見た時に「芝田かな」と口にした。

久美香と彩也子は誘拐されてしまった。あの殺人事件の犯人芝田に…。

 

洸稀とその夫に連絡して対策を話そうとしたほぼ同時刻、

斜向かいの住民が岬の方を指さし、何か只事ではないような雰囲気で話しているのが見えた。

 

「岬のほうが火事なんだって」

 

 

駆けつけると、火の手は商店街の祭りの時とは比べ物にならないほど燃え上っていた。

出火元は、すみれの工房。パートナーの宮原健吾が建ててくれた。

そんな炎の中から、久美香と沙也加が出てきた。

 

久美香は、自分の足で立っていた。

 

 

 

 

火事の騒ぎも収まった数週間後、さらなるニュースが飛び込んできた。

燃えた工房の下から、白骨死体が発見されたのである。

 

 

 

芝田の遺体だった。

 

●●●●●

 

 

 

内容は、こんな感じ。

色々端折りすぎてとても申し訳ない。

 

もっと伏線がそこかしこにちりばめられているので気になる方は読んでみてください。

 

 

さて、私はネタバレになる、と言いながらこの作品の一番のネタバレを言っていない。

その核心に迫る内容をあえて書いていない、と言った方が正しいのか。

 

ここまで読んで、内容をなんとなくつかんでもらえていたらありがたい…が、

上手くまとめられた自信が全くない。

 

 

ここで考えられる疑問点をいくつか挙げてみる。

 

① ネットでのある噂って何?

② 久美香と彩也子はなぜ一緒にいたの?

③ 芝田はなぜ死んでいたのか?

④ 岬での火事はなんだったのか?

 

こんなところだろうか。

 

順に解説していく。

 

① ネットでのある噂とは、

「久美香ちゃんは実は歩けるんじゃないか」というもの。

その噂は女子高生が発端である。

また、久美香と同じ小学校の同級生もそんな風に噂している。

その噂はもともと町中に広がっていたが、みんな口に出さない。

ネットに一つ書き込みがされたことで、町の住民もネットに同じようなことを書き込み始めた。

 

 

 

②その日は放課後、2人一緒に図書館で工作教室みたいなものに参加するといっていたから。

 

 

③、④はこの物語の核心。

2つを解説しようと思ったが、やめた。

③に関しては推測の域を出ないし、

④は自分で読んで確かめてもらった方が、スリルがあって楽しいので。

 

 

 

え?気になる…?(誰も言ってない)

仕方ないなあ。

 

では、この物語の黒幕だけ伝えておく。

それは、宮原健吾。すみれのパートナーである。

 

 

 

 

感想。感じたこと。考えたこと。

 

このブログに物語の簡単な顛末を書くのにさえ

「あの内容も入れるか?」

「でも入れたらもっと長くなってしまう…」

と葛藤をしたのだから、物語の伏線の量は尋常じゃないと改めて感じた。

 

 

 

そして、物語のクライマックス。

彩也子の日記で、全ての真相が明らかになる。

それを読んだ時の「うわ………」という、

唖然というのか、呆然というのか、

 

真実が明らかになったのに

やりきれない気持ちだけが残る感覚。

 

物語を読み終え本を閉じた後も、

しばらく脳内を物語に支配される感覚。

 

 

そんな感覚が、少し不気味で、でも心地よくて、

私は、そんなイヤミスの中毒性の虜になってしまっている。

 

 

 

 

「善意は悪意より恐ろしい」

 

この本の帯である。

一度読んだだけだから、この意味がきちんとつかめていないかもしれないが、なんとなくわかったような気もする。

この物語の登場人物には、悪意に満ちた人はいなかった。

 

ここでいう善意は、人にやさしくしようとか、思いやりを持とうとか、そういう次元の「善意」ではなくて、もう一歩踏み込んだ「善意」

人の気持ちを汲み取り、その人が不快にならないように、動揺しないように、

先に立ちまわったり、あえて遠回りをしたり。

そういう善意かな。

 

あとは、民法とか刑法とか、そういうものを勉強するときの「善意」の意味も含まれているような気がした。(善意:ある事項について知らないこと。)

 

 

 

物語の中で、主観がぶつかり合っていた。恐ろしいほどに。

でも、直接はぶつけない。

それを「優しさ」だと思う人間たちの物語だったが、それは本当に優しさだったのか。

甚だ難しい疑問である。

 

 

 

噂が数日で町中に広まる様子。

噂が1日で広まる田舎に育った私には、十分すぎるほどリアルで恐ろしかった。

 

 

憧れの町ユートピアは、自分の心の中にしか存在しないのだと

確信を持たせてくれた とても素敵な作品だった。

 

 

 

 

 

ユートピア (集英社文庫)

ユートピア (集英社文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぽてちの朝ごはん事情

お題「朝ごはん」

 

こんにちは。ぽてちです。

 

気が向いたので書きます(*^▽^*)

 

 

今日のお題は「朝ごはん」!

ということで、私の朝ごはん事情について語っていきたいと思います(誰得)。

 

私の朝ごはんは小さい頃から専ら……ポテチ

 

と言いたいところですが…

 

正解は、パンです!

 

だから、今でも朝ごはんは食パンを食べています。

 

 

これまでは、ピーナッツクリームフルーツのジャムを載せたり、マーガリだけで食べたりしていました。

 

 

 

 

でも最近、新しいレシピを考案しました(*'▽')

 

 

 

.*〇ーーー〇ーーー〇ーー レシピ --〇ーーー〇ーーー〇*.

【材料】1人分

食パン 1枚

玉ねぎ 1/4個(みじん切り)

卵 1個

スライスチーズ 1枚

ケチャップ 適量

マヨネーズ 適量

黒胡椒 適量

 

【作り方】

① 卵と玉ねぎを炒める

② 食パンの上にケチャップ、マヨネーズをかける

③ ①を②の上に載せ、その上にチーズを置く

④ トースターに乗せて6分30秒くらい焼く(オーブントースターのトースター機能でやってます)

⑤ 黒胡椒をかけてできあがり!

 

 

.*〇ーーー〇ーーー〇ーーーーーーー〇ーーー〇ーーー〇*.

 

朝からお腹いっぱいだし、おいしいです!

これまでは食パン一枚にマーガリンを載せるだけだったので、すぐにお腹がすいていたのですが…

この朝ごはんを食べるようになって、腹持ちがよくなりました。

そして、ほとんど家にあるものだしコンビニでも揃うと思うので、

よかったら試してみてください(^^)/

 

 

〈補足〉

玉ねぎが無かったら、卵だけスクランブルエッグにしても、目玉焼きにしてもとってもおいしいので手軽にできます(*´▽`*)

 

 

 

では、今日はこの辺で。

読んでいただきありがとうございました。

 

お題が全然見つからなくて困ってるので、

何かいいテーマがあればおしえてください

 

 

ぽてち

 

この世界の色の不思議

 

 

今までの人生の中で、「色」についてこんなにも真剣に考えたことがあっただろうか。

 

 

 

先日、色について少しだけ学ぶ機会があった。

 

ご存知の方も多いと思うが、「色」というのは「モノ」が吸収できなかった光のことであり、モノ自体がその色を持っているわけではない。

例えば、みかん。みかん=橙色という印象であるが、私たちが見ている橙色は「みかん」という物体に吸収されずに反射した色なのである。

言い換えれば、「みかん」そのものが持つ色は「橙色以外の光の混合色」であるということだ。

 

 

私はこの話を改めて聞き、自分が見えている世界がわからなくなった。

この世界においてみかんを「みかん」たらしめているのは紛れもなく「橙色」であるが、この「橙色」は「みかん」そのものには含まれていない。つまり「みかん」そのものは「橙色ではない」。

 

私はあのオレンジ色の甘酸っぱい果物をみかんと呼んでいて、オレンジこそがみかんのアイデンティティだと思っていた。

しかし、私たちが見ているのは吸収されず反射された光。みかんはオレンジ色を持たない。

じゃあ私が見ているみかんって何色なんだ?

 

みかんだけじゃない。

全ての物体が光を反射し、物体に吸収されなかった、つまり反射した光がこの世界を構成している。

 

私が見ているこの世界は果たして本物なのか?

 

でも、もしこの世界が偽物だとして、私たち人間にとっては私たちが見えている世界(=可視域)が絶対であり、それ以上もそれ以下も知り得ない。

そして、光を吸収したモノの本当の色を(簡単には)知ることもできない。

 

だから、「この世界は本物である」という命題を(少なくとも色視点では)崩しうる反例がみつからず、「この世界は偽物である」というのは一つの可能性、仮定で終わってしまう。

 

 

もし人間の可視域がもう少し広かったら?

もし人間の可視域が今とは別の場所に存在していたら?

 

少なくとも、今見ている世界の常識は、常識じゃなくなるだろう。

今見ているモノの色も。色の種類も数も。

 

この世には誰も見たことがない色が確かに存在していると思うと、少し不思議で、わくわくして、でも少し切ない。

 

だから、私たちが見ているこの世界がきっとすべてではないと思う。

 

 

日常生活でもそう。

 

目の前に確かに世界は存在するので、見えていることがすべてだと思い込んでしまう。

でもそこには同時に、みかんに吸収された光のように「見えないこと」も潜んでいるのだと思う。

 

私たちは、みかんに吸収された色は見えない。これは生態上仕方のないことである。

でも、日常生活に吸収された「見えないこと」の中には、見ようと思えば見れることもある。

それは例えば、今見ている世界を少し視点を変えてみてみること、今見ている世界がどう構築されたのか考えること、そういう角度から見えることがある。

 

 

生物学的な人間の「可視域」は広げられなくても、自分自身の「可視域」は広げられるのではないか。

光の反射が映し出す世界は、そんなことを考えさせてくれた。

 

 

 

p.s.人の気持ちは、どんなに頑張って見ようとしても見えません。

 

 

以上、お読みくださりありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

失敗を恐れすぎて


少し書き留めておきたいただのメモ。



帰宅してやること一通り終えたら、時間も忘れて本を読んでいました。


ずっと読みたかった本。

タイトルを見た時から買うと決めていた本。


こんなに惹かれる本は今までなかったから、ずっと不思議な気持ちだったけど、

読んでみてわかった。



私は今まで失敗を恐れすぎていたこと。


完璧でなきゃいけないと思い込みすぎていたこと。



この本には、そんなことに気づかせてくれる一文がありました。



失敗はもちろんこわいけど、失敗しなさすぎるのもこわい。

小さな失敗も大きな失敗も、大切な経験として自分のものになる。



負の感情や感覚を恐れて、逃げているだけだったんだろうなあ。


これからは、自分の気持ちに素直に、失敗をそんなに恐れずやっていこうとおもう。



なんか自己啓発本みたいなこと言ってしまったけど、

すごく心にストンと落ちた新しい考え方だったので、メモしました。



ではでは、おやすみなさい😴




寺社で一日ゆったり過ごしたくない?って話。

 

 

こんにちは。久しぶりの更新になりました。

 

 

 

突然ですが

 

二ヶ月ほど前、機会があって、とあるお寺の本堂に入らせてもらうことができました。

 

檀那寺でもなく、宗派も違うんですけれど。

 

 

 

 

私はもともとお寺巡り神社をめぐるのが大好きで、

特に京都の寺社の有名どころはほとんどお参りさせてもらっております。

 

 

旅先でも寺社を見かけると、立ち止まって鳥居や門を見上げてしまいます。

そしてしばしば中にも入り、お参りします。

 

 

ですが、寺社の本堂に入ってお参り中にゆっくりと腰を下ろしたのは、

この時が(檀那寺以外では)初めてでした。

 

本堂の中では、そのお寺の由緒や建築様式、地域への貢献など様々なお話を聞くことができました。

 

 

 

とまあ、真面目な前置きはこの辺にしておいて……(前置きがむちゃくちゃ長い)

 

 

 

 

 

その本堂にいる間、少し考えました。

 

 

考えたというか、思ったことです。

 

 

 

 

「私、この寺に住みたい…!!!!!!」

 

 

 

なぜって??

 

 

 

線香のいい香りが堂内を漂っているし、内装はシンプルですが木の柱や欄間に施されている装飾が繊細だし、住職さんの声めっちゃ落ち着く(重要)し……

 

 

「もうずっとここにいたいな?ダメかな??」

 

 

と、心の底から83回くらい思いました。

 

 

そうして、数秒後に私は、一つの夢を持っていました。

 

 

 

京都の高台寺竜安寺の縁側で、

一日座ってるだけのイベント開催しよう!!!

一人で!!!!

 

 

 

 

これは、縁側でそよ風に吹かれながら、何も考えずにぼーっとして一日過ごすという

超高まりイベントです。

 

 

個人的にディ○ニーにいくよりもわくわくします(消されそう)。

 

 

 

やっぱり、体も心も超繁忙な現代社会から少しでも離れてたいと思ったら、

寺社が一番快適だと思いますね。

寺社巡りをするとなんだか元気出ますし。

 

 

 

 

心と体を休めるために寺社を「めぐる」っておかしな話ですけどね(笑)

 

日本人の特徴的な休暇の過ごし方の一例に過ぎないという事でしょう。

 

 

 

ですが私が今回企てている「超高まりイベント」は、

 

完全に心と体を休めるためにあります。

 

 

一日ゆっくりと流れる時間をただひたすらにぼーっと過ごしてみると、

なにか新しいことが見つかるかもしれません。

 

 

今からとっても楽しみです。

 

 

 

今度は京都の旅行エピソードとかもいろいろ書きたいな。

 

 

 

 

 

最後に。

 

 

京都の観光事情に詳しい方や、もしかすると詳しくない方でも、このように思ったかもしれません。

 

 

 

 

 

「心身を休ませるのに竜安寺高台寺????

おまえさんほんまに心身休ませる気ィあるんかいな!」

 

 

 

 

ごもっともです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ですが、大丈夫です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私も同意見です。えへへ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、おやすみなさい。

 

 

 

 

 

読んでくださった方、ありがとうございました!

 

素敵な寺社や落ち着く寺社があったら、ぜひおしえてください(*'ω'*)

 

 

九州豪雨にみる、情報の裏にある真実

 

こんばんは。

暑いですね。

 

昨日から、九州地方で豪雨の被害が出ています。

私自身、時間がある時に防災について少しずつ勉強している身なので、この被害はとても心配です。

 

 

この災害は、豪雨による洪水、土砂崩れ、川の氾濫、家屋の倒壊、道路の断絶など、とても大きな被害をもたらしています

電波も繋がらないところがあるようで、完全に孤立してしまっているところも見受けられ、現地は大変緊迫している状況だと思います。

 

 

私が以前受けた防災に関する講習で、災害時の報道に関する内容がとても印象的でした。この被害状況をみて、改めて自分が思ったことと共に綴ります。

 

 

 

現代、私たちが主に受け取れる災害の情報は、テレビからのものが多いですよね。

その報道で、救助活動の様子がよく映し出されます。

そしてその様子をみると、私たちは順調に救助活動が進んでいるんだな、と感じます。

 

 

しかし、

私たちが見る救助活動の様子は、現場のほんの一部である

ということ。

 

実は、こうしている今でも救助を待っている人が大勢いるし、孤立して本当に困っている人も大勢いる

本当はそのような方が大半なのに、そういった情報を見落としがちで、私たちはテレビの情報をそのまま鵜呑みにしてしまっている。

 

 

この言葉を聞いた時に、私はハッとしました。

私も過去に多くの災害をテレビを通して知ってきましたが、確かに救助活動が順調であると何の疑いもなく信じていました。

しかし、現実ではそうではない

 

 

少し考えてみればわかることなのに、この時代は情報の取捨選択が大事であるとさんざん言われてきたのに、

それでも自分は、本当に大事な時には盲目になり、そこにある情報をそのまま鵜呑みにしていたのです。

 

 

また、なにか大きな気候変動や地震などが起こったにもかかわらず、「情報が少ない」時。

これは、決して安心のサインではないということ

 

「情報が少ない」ということは、情報が伝わらないほど現場が混乱している可能性も大いにあるということです。

そのため、「情報が少ない」ということも、とても大事な、現場の「情報」なのです

 

 

 

私は、災害の知識が増えるにつれて、各地で起こる災害が他人事には思えなくなりました。

災害の恐ろしさは、条件が揃えばどこにでも起こりうることで、何より予測が困難であることです。

 

 

そのため、日頃から災害に関する情報にアンテナを張り巡らし、大事な時ほど冷静に情報を見極め、その情報の裏にある現場の状況を推測できるように、災害について少しでも考えを深めておくことが重要だと思います。

 

 

 

教科書みたいな締めになりましたが、本当にそう思います。

 

災害について、些細な事でも、知らないのと知っているのでは全然違うと感じます。

「知らない」って、怖いことだと思います。

 

 

 

九州地方で大変な思いをされている方、お怪我のないように、これ以上被害が拡大しないように、一刻も早い復旧・救助活動が進みますように、

祈ることしかできないけれど、応援しています。

 

長々と乱文失礼しました。

読んでくださった方、ありがとうございます。

 

 

 

************************************

 

 

これを読んでくださった方の中にはもちろん、

そんなことはわかっとるわ!!!

という方もたくさんいるでしょう。

 

その方々にとっては、このブログはなんだか煮え切らない思いを抱かせるような内容だったのではないかと思います。

嫌な気持ちになった人がいたら、申し訳ないです。

 

また、マスコミを侮蔑するような意図もありません。そのように捉えられた方がいらっしゃったら、言葉足らずで大変申し訳ないです。

私は、「情報の裏にある現場の状況」を伝えたいと思い、このブログを書きました。

 

ですがこのブログを読んで、一人でも多く、私のように気付きを得られた方がいらっしゃれば、それはとても嬉しいことです。ありがとうございました。